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元ハマスタ名物DJ、ブランコ氏との思い出と感謝つづる「私の声がいつも天国で聞こえるよう…」


元プロ野球選手トニ・ブランコ氏が不慮の事故で死去した報道を受け、南隼人氏が追悼の意を示しました。ブランコ氏は故郷のドミニカ共和国でナイトクラブの屋根崩壊事故に巻き込まれ、43歳で亡くなりました。南氏は以前からブランコ氏と関係が深く、彼の影響で自身のスタジアムDJとしてのキャリアが形成されたと述べました。ブランコ氏の印象的な活躍が、南氏のバッターコールを広めた重要な要因であったことを回顧し、彼の訃報を悼みました。最後に、「天国であなたの声が聞こえるように頑張ります」というメッセージで追悼の意を表しました。

南隼人氏(2015年4月2日撮影)

横浜スタジアムでスタジアムDJを務め、現在はロッテ主催試合のリポーターを務める南隼人氏が9日、死去が報じられたトニ・ブランコ氏を悼んだ。

複数の米メディアはこの日、トニ・ブランコ氏(43)が故郷ドミニカ共和国のナイトクラブで、屋根が崩壊する大惨事に巻き込まれ死亡したと報道した。中南米メディアのヘクトル・ゴメス記者によると、同席していた元レンジャーズ内野手のエステバン・ヘルマン氏(47)は生き残り、同氏の話によると崩壊が起こった瞬間、ブランコ氏は天井の一部がヘルマン氏に直撃しようとしたときに体を押して助けたという。

南氏は、12年から横浜スタジアムのスタジアムDJとしてデビュー。ブランコ氏は13年から2年間、DeNAでプレーした。南氏はブランコ氏へ長文のメッセージ。「今朝ニュースを知り、大きな喪失感に包まれています。私の人生の中で、切っても切り離せない選手でした。ブランコ選手がいなければ、私のスタジアムDJ人生がなかったと言えるほど、ブランコ選手へのバッターコールが、今でもプロ野球で働かせていただいてる要因になっていることは紛れもない事実です」とつづった。

つづけて「最初はバッターコールに対して『うるさい、下品だ』と言われたこともありましたが、それを救ってくれたのはブランコ選手のホームランでした。移籍した2013年の4月に球団記録となる月間14本のHRで、私のコールも認知され、受け入れていただき、当時中畑監督からもお許しをいただきました。もしブランコ選手が何かきっかけでまた横浜スタジアムに来られた際には、私にもバッターコールをさせていただくチャンスがあるのではないかと、密かに願っておりました。この度の事故での訃報はあまりにも急で、思い出ばかりがよみがえります」と思いを記した。

最後に「私の声がいつも天国で聞こえるようにこれからもずっと野球界でスポーツ界でアナウンスをしていきます。あなたがいなければ今の私がありません。本当にありがとう。感謝を込めて『トニ・ブゥゥゥゥゥゥランコォォォォォ!!』。R.I.P」と締めくくった。

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