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元中日ブランコさん43歳急死 谷繁元信氏驚き隠せず「優しいやつだから…。それが命取りに」


元中日ドラゴンズの選手で、後にDeNAに移籍したトニ・ブランコ氏が43歳で亡くなった。ドミニカ共和国のナイトクラブで屋根の崩壊事故に巻き込まれ、彼は共に居た友人のエステバン・ヘルマン氏を守ろうとした姿が報じられている。ブランコ氏は力強いバッターとして知られ、特に谷繁元信氏は彼のバットが頻繁に折れていたと回想する。対戦相手としても彼の強力なスイングを認めていたが、ブランコ氏は日本野球への熱意と共に人柄の良さでも印象的だったという。彼の突然の死に谷繁氏は深い悲しみを表し、若くしての別れを惜しんだ。

中日からDeNAに移籍したトニ・ブランコ(2013年1月22日撮影)

突然の訃報に、谷繁元信氏(54=日刊スポーツ評論家)も驚きを隠せなかった。中日時代の同僚だったトニ・ブランコ氏が、故郷ドミニカ共和国のナイトクラブで起きた屋根の崩壊事故により亡くなった。43歳だった。

「優しいやつだから…。それが命取りになったということなんだろうけど…。トニらしいというか、人のことを思う気持ちがものすごくあった。いいやつだった。残念だよ」

中南米メディアによると、同席していた元レンジャーズ内野手で西武やオリックスにも在籍したエステバン・ヘルマン氏(47)に天井の一部が直撃しようとしたところ、ブランコ氏がヘルマン氏の体を押して助けたという。ヘルマン氏は生き残った。

谷繁氏が抱くバッターとしてのブランコ氏の印象は「とにかく力があった。だから、バットもしょっちゅうへし折っていた。先に当たると折れるし、詰まると折れるし」。ブランコ氏が13年にDeNAに移籍してからは、マスク越しに対戦。「スイングが強かったよね。当たればすっ飛んでいくから、トニの弱点とされるところを攻めていった。少々でも甘いところにいったら運ぶだけの力を持っていた」と認める相手だった。

人柄も印象に残っている。「話すと、いつもニコニコ。野球の時も、調子がいいとニコニコしていた。でも、調子が悪いと1人で思い詰めるところもあって。常に必死にやっていた」。成功のベースには、日本野球に取り組む姿勢もあったようだ。

最後は「一緒に(10、11年のリーグ)連覇を果たした仲間。残念です。まだ若いのに…。お悔やみ申し上げます」と言葉を搾り出した。

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