
<センバツ高校野球:智弁和歌山9-4エナジックスポーツ>◇25日◇2回戦
創部4年目で初の甲子園出場を果たしたエナジックスポーツ(沖縄)が春8強入りを逃した。
スコア4-9。一貫して掲げるノーサイン戦法も、過去4度の全国制覇を誇る智弁和歌山に力負け。聖地2勝目を挙げることはできず、神谷嘉宗監督(69)は「智弁(和歌山)との格の差を感じましたね。前半に力で圧倒された感じです」と脱帽した。
異色だった。どんな場面の打席でも、選手はベンチの神谷監督に目を向けない。指揮官もベンチで戦況を見守るだけで、グラウンドに立つ選手が状況を判断。走者と打者によるアイコンタクトなどで戦術が決める。ノーサイン野球の意図を「私の(指導)方針がもともと自主性です。監督(の考え)が一番じゃないんです。結局は自分で判断し、自分で責任を取らないといけない。その場、その場で理由があればセオリーを無視してもいいんですよ」と言う。
きっかけは沖縄・美里工時代。無名の東亜大(中国六大学)を明治神宮大会で3度の日本一に導いた中野泰造氏だった。神谷監督は「ノーサイン野球の神様。いかに弱いチームが大物を食うか。(東亜大のノーサイン)野球を見た時にこの野球かなと思った」。感銘を受け、同校では就任直後の22年春から取り入れた。
ノーサイン野球の浸透に約1年半を要した。当初はナインも戸惑い、失敗続きだった。「何がノーサイン野球か」。「野球の根底が揺らぐ」など批判的な声もあったが、神谷監督は一切ぶれなかった。「いろいろな考え方があるので。うちはこれ(ノーサイン野球)でいくってことだった」。紅白戦など実戦形式を毎日行い、時にはプレーを中断してまで話し合った。選手間ミーティングで意見交換し、試合後は移動中のバス内でフィードバックもした。徐々に成熟度は高まり、ノーサインスタイルが全国で通用するまでになった。
昨年は春季沖縄大会で初優勝を飾り、夏と秋はともに県準V。昨秋の九州大会でも準優勝し、創部4年目のスピードで甲子園初出場初勝利まで挙げた。指揮官は「ここからもっともっと伸びると思います。うちらしい野球はできていたので。智弁(和歌山)から4点も取れると思ってなかった」と振り返った。新興勢力の“エナジック野球”は、まだまだ強くなっていく。