
<センバツ高校野球:エナジックスポーツ8-0至学館>◇21日◇1回戦
創部4年目で初出場のエナジックスポーツ(沖縄)が新風を吹かせた。神谷嘉宗監督(69)が掲げる「ノーサイン野球」が見事にはまり、13安打8得点をマーク。至学館(愛知)に8-0で快勝した。智弁和歌山はエース渡辺颯人(3年)が4安打90球完封でマダックスを達成。初出場の千葉黎明を破り、6年ぶりに白星を挙げた。優勝候補の広島商は、21世紀枠で初出場の横浜清陵(神奈川)に大勝した。
◇ ◇ ◇
大舞台でも、失敗を恐れない。選手同士で意思疎通し、果敢に仕掛ける。エナジックスポーツのノーサイン戦法が際立ったのは、2-0の7回だ。先頭9番宮里康が四球で出塁した。次打者は1番イーマン。カウント1-2からの4球目、一塁走者がスタートを切る。それを見て、遊撃手が二塁カバーに走った。ぽっかり空いた三遊間。そこへ、イーマンが流し打った。内野安打とし、鮮やかなランエンドヒットで好機を演出。実は2人で「2ストライクでやろう」と、ネクストバッターズサークルでもくろんでいた。打ち合わせ通りの作戦で、この回6得点を呼び込んだ。創部4年目で甲子園初出場初勝利を決定づけた。
1盗塁、1犠打もすべてノーサインだ。どんな場面の打席でも、選手はベンチの神谷監督に目を向けない。指揮官は戦況を見守るだけ。神谷監督は「(選手が)何をやってくれるのかなと。ワクワク、ドキドキしながら見てますね」。グラウンドに立つ選手が状況判断し、アイコンタクトなどで戦術が決まる。当初は戸惑ったナインも、練習の積み重ねで成熟度が増した。
ノーサイン野球の発端は沖縄、美里工での監督時代だった。「いかに弱いチームが大物を食えるか」を考え、たどり着いた。影響を受けたのは無名の東亜大(中国六大学)を明治神宮大会3度の優勝に導いた中野泰造氏。「ノーサイン野球の神様」と呼ばれる名将に師事し、一からノウハウを学んだ。サインがない分、攻撃パターンが型にはまらない。味方ですら「何をするんだろう?」と思うから、相手も意表を突かれる。
新チームのスローガンは「スマイルポップコーン」。初の聖地で「笑顔ではじけよう!」と誓い合い、見据える先は頂点のみ。イーマンは「みんな優勝したいと思っている。ノーサイン野球を貫き通して、旋風を起こす」と息巻いた。沖縄の新星が、春の聖地に新風を巻き起こす。【佐藤究】
◆エナジックスポーツ 医療・健康機器の開発メーカー「エナジックグループ」の創業者・大城博成会長が理事長を務め、21年に通信制のみで開校。24年4月から全日制も設置され、22年4月創部の硬式野球部の部員39人は全員が全寮制の全日制に所属。昨年ドラフトでは龍山暖捕手が西武から6位で指名された。部活動は他にゴルフ部がある。所在地は沖縄県名護市瀬嵩296。仲舛盛順学院長。
◆カタカナ校名 カタカナを含む学校の甲子園出場はコザ、聖心ウルスラ学園、クラーク、聖カタリナ学園、ノースアジア大明桜に次いでエナジックスポーツが6校目。過去に17年夏の聖心ウルスラ学園、21年夏のノースアジア大明桜(旧校名の秋田経大付、秋田経法大付時代にも勝利あり)、23年夏のクラークが勝っており、エナジックスポーツはセンバツのカタカナ校名で初勝利となった。
◆スピード勝利 22年4月創部のエナジックスポーツが甲子園初出場で初勝利。創部4年目の勝利は、センバツでは93年東筑紫学園、04年済美、05年神村学園(各3年目)に次ぐスピード記録。夏は02年遊学館が1、2年生だけの創部2年目で勝ったのが最速。
◆初陣の大差完封 春夏を通じて初出場校が8点差以上の完封発進は、04年春の済美9-0土浦湖北以来21年ぶり。
◆2校で勝利 神谷嘉宗監督は08年夏の浦添商(4強)、14年春の美里工(初戦敗退)に次ぎ、沖縄県で初めて3校を甲子園に導いた。沖縄県の2校で勝った監督は栽弘義監督(豊見城7勝、沖縄水産20勝)、神山昴監督(沖縄水産1勝、那覇商1勝)に次いで3人目。
◆県勢初のアベック勝利 沖縄勢は沖縄尚学も初戦を突破しており、県勢2校が勝利は初めて。