
<こんな人>
大多亮関西テレビ社長(66)が辞任した。
大多氏の姿を初めて見たのは、1988年(昭63)に東京・芝の浜離宮にあった銀座ヨットクラブで行われた、連続ドラマ「君が嘘をついた」の制作発表だ。「北の国から」のプロデューサーだった山田良明氏(元共同テレビ社長)のもとで、ドラマプロデューサーを始めた頃だった。
その後に一本立ちして、「すてきな片想い」「東京ラブストーリー」「101回目のプロポーズ」「愛という名のもとに」「ひとつ屋根の下」と大ヒットドラマを連発。“ヒットマン”大多亮は、そのルックスのよさもあって、テレビ界の枠を超えて時代の注目を浴びた。
「ひとつ屋根の下」が大ヒット中の93年には「大多亮の世界『ヒットのツボ』」という連載を担当させてもらった。東京・河田町にあったフジテレビで話を聞くと、実に話が分かりやすくて面白い。1回のインタビューではもったいないと連載することになった。最初のインタビューで2回分の原稿を書き、次の取材に行くと大多氏は「古典落語に学ぶ」というテーマを考えてくれていた。落語の世界から着想を得て、大家族のドラマ「ひとつ屋根の下」が生まれたという。
時代の最先端を行くおしゃれトレンディードラマの作り手だった。純愛ドラマは32回も見たという映画「小さな恋のメロディ」(70)年から。「ひとつ屋根の下」で酒井法子が演じたけなげな妹、小雪のモデルは「男はつらいよ」シリーズのさくらから。切り口を考えられる秘訣(ひけつ)は、ドラマ制作の前にいた広報時代の宣伝活動にあった。映画「子猫物語」の主人公チャトランの着ぐるみをかぶってPRをした経験もあるだけに、プロモーションの大切さを熟知していた。
「ダブル浅野」「純愛三部作」「等身大」「サーティーズ」と、記事にしやすい言葉を口にした。そしてフジテレビの社内用語であった「月9(げつく)」を流行語にまでした。記者も大多氏の連載を担当したことが貴重な経験になった。
13年に同世代のライバルでもあった亀山千広氏(現BSフジ社長)がフジテレビ社長に就任すると、大多氏は常務として編成制作のトップに就いた。だが、その頃からフジテレビの視聴率は低迷。15年には、長年務めた編成制作の担当から外れた。22年(令4)の港社長就任とともに専務に昇格して編成担当に7年ぶりに復帰。ナンバー2として、名実ともに次期社長の大本命になった。
24年1月のフジテレビの新年パーティーでは、久しぶりに大多氏と話し込んだ。過去の連載の記事を大切に取っておいてくれること、先輩記者たちとは互いに家に泊まり合って公私ともに付き合っていたことなどを話してくれた。
ただ、同年1月期のフジテレビの全日帯(午前6時~深夜0時)の平均視聴率はテレビ東京に抜かれた。在京民放5位の最下位だ。昨年6月に、まさかの関西テレビ社長就任。将来のフジテレビ社長に“首の皮一枚”残しての人事と思った。23年6月に起きたトラブルを覆い隠したままだった。
先月31日の会見で、フジテレビの清水賢治社長(64)は大多氏の処遇について「関西テレビで判断されると思う」と話していた。辞めたのは潔かったのか、遅すぎたのか。ドラマの作り手としては超一流だっただけに、残念でならない。【小谷野俊哉】