「熊本の自撮りおばあちゃん」こと御年91歳の西本喜美子さんは、インスタグラムのフォロワー数21万人以上の人気アマチュアフォトグラファーだが、写真術を始めたのは72歳のときだったという。素晴らしい話である。
まぁ西本さんの例はかなり極端だとしても、世の中には「定年後に興したベンチャー企業がその後大ブレイク!」みたいな例もあるため、何かを始めるのに遅すぎるということは決してない。たとえ何歳になったとしても、人は「新しい何か」に挑戦し続けるべきなのだ。
とはいえさまざまな物事は、「どうせ始めるなら若いときのほうがいい」というのもまた事実であろう。
なにせ若人と中高年では体力が違うというのもあるが、それ以上に「感受性の感度」みたいなものが天と地ほどに異なるからだ。
たとえば筆者こと伊達は自動車ライターという職業を生業としているが、書いているモノは「自動車に関する知識」はほとんどベースにしておらず(そもそも知識がない)、もっぱら「感受性」みたいな部分のみを使ってさまざまな雑文を書いている。
そんなテキトーな仕事のやり方でも餓死しないということは、いちおうはわたくしの感受性(みたいなもの)に、それなり程度の商品価値はあるということなのだろう。
だがそれは、すなわちわたくしの感受性のようなものは、おっさんになってから獲得したものではない。そのほとんどは10代から20代にかけて獲得し、自分なりに磨きをかけたものだ。つまりわたくしは今、10代・20代の頃に行った「貯金」のみで食っているのである。
ブラック五流激安給与出版社に勤務する20代後半の青年だったわたしにとって、当時購入したルノー5バカラやら初代ルノー メガーヌ クーペ16Vなどは、身の丈を若干越えていた。しかしまだ年齢的にまあまあ若く、比較的ピチピチだった感受性でもってそれらを存分に味わったからこそ、自動車ライターとしてのわたくしは今、いちおう食えているのだろう。
もちろん、40歳ぐらいのおっさんになってから初めてそういったクルマを買うのも悪くはない。だが「体験が身体に染み込む量と質」が、残念ながらおっさんと青年とではまるで異なるのである。