
<ブルージェイズ3-1オリオールズ>◇30日(日本時間31日)◇ロジャーセンター
【トロント(カナダ)30日(日本時間31日)=四竈衛】オリオールズ菅野智之投手(35)が、日本人の先発投手として最年長となるデビュー戦に臨み、ブルージェイズ相手に4回4安打2失点で初黒星を喫した。両手の「けいれん」で途中交代した無念さが残る一方、長年の目標だったメジャーのマウンドで万感の思いに浸った。初勝利は次回以降にお預けとなったが、オールドルーキーが確かな1歩を踏み出した。
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万感の思いを胸に、菅野がプレートに足をかけた。緊張や、興奮とも違う。日本で通算136勝を挙げ、国際舞台の経験も豊富な右腕の胸に「今まで経験したことのないような感覚」が去来した。「想像していた通り、すばらしい空間だなと思いました」。マウンド上から目に映る景色に、積年の思いが重なった。
1番ビシェットにストレートの四球。抜群の制球力を誇るが「あんなに初回からストライクが入らないのは人生で1度もない」と言うほど、体と指先は思い通りに動かなかった。2死後、連続長短打で2失点。それでも、自らを客観視し、2回以降、冷静に4回までゼロを並べた。
5回に投球練習を開始した直後、異常を訴えた。菅野によると、4回の投球中にグラブの中の左手がつり始め「嫌な感じ」だったという。その後、右手も徐々につり始め「1球投げたら指がくっついていた」。監督、トレーナーらと協議し、続投を断念した。
メジャーのマウンドは憧れや目標ではなく、自らが歩んできた野球人生を確かめるための場所だった。幼い頃からアマ球界の重鎮でもある祖父原貢氏(元東海大相模監督)に野球の基礎をたたき込まれ、巨人では叔父の原辰徳前監督からプロとしての生きざまを学んだ。「名門一家」の重圧をよそに、常に自分の意思に忠実に生きてきた。11年ドラフト後は日本ハムの指名を断り、1年間の「浪人生活」を送る覚悟を決めた。
20年オフにはポスティングを申請。メジャーの複数球団との交渉を進め、手の届くところまで近づきながら、コロナ禍の影響もあり、断腸の思いで巨人残留を決断した。それでも、メジャーへの思いは消えなかった。ただ、今の菅野には「遠回り」したとの思いはない。「本当にいろんなことを経験させてもらいましたから」。楽な選択はしたくない。「1年ごとが勝負」とオ軍と単年契約を交わしたのも、安定を善しとしない、覚悟の一端だった。
初登板は「両手けいれん」の影響もあり、白星で飾れなかった。だが、悲観する材料はない。「いいところもたくさんあったので次につながると思います」。この日、オ軍のスタメン最年長だった菅野は、意図したかのように、ルーキーらしく、初々しい言葉で門出の73球を振り返った。
○…菅野が途中降板した当初、オ軍広報は通例としてアクシデントなどで交代した選手は、試合後、取材対応しない旨を明かしていた。それでも、菅野は治療後、日米報道陣の前に姿を見せ、カメラの前で質疑応答に応じた。ファンに対する思いを「それが9割です」と言う一方、「1回、自分の口から話さないと、好き勝手に書かれてしまうので話すことにしました」とジョーク交じりの言葉で周囲を笑わせた。
○…菅野は巨人時代の23年9月9日の中日戦でも、登板中に右手人差し指がつって途中降板している。デビュー戦となったロジャーセンターはドーム球場で室内は気温20度に維持されていたが、屋外は0度。水分不足などの要因が考えられる一方「球場は寒いと思いましたけど力みもあったと思います。僕らしいなと思います」と苦笑した。ハイド監督は試合後、次回は予定通りに中5日で4月5日(同6日)の敵地ロイヤルズ戦に登板する見通しを明かした。
▽オリオールズ・ハイド監督(菅野について)「両手のけいれん。特に投げる方の手は心配だが試合後には良くなっていた。トモはよく投げた。(2点適時打の)スプリンガーにはちょっとミスして、1回は緊張したのか(1番)ビシェットを歩かせたがそれ以外はよかった。我々には攻撃が必要だった」