今回の本稿では「幸せとは何か」という、わたくしのごとき凡才の手には余りそうな壮大系テーマを主題としたい。ただ、最終的には「素敵なクルマを買いましょう」というショボい結論になる予定なので、ある程度の楽観はしている。
わたしは「幸せへと至る方法」を見つけた(宗教ではなく)
さて。全人類にヒアリングしたわけではないので断言はできないが、「オレはなるべく不幸になりたいね」と思っている人類はいないはずだ。誰もがその人なりの幸せを求めながら、日々を生きている。
だがその「幸せになる」という一見近くにありそうなゴールが思いのほか遠く、そしてその実現がけっこうハードモードであるため、多くのホモサピエンスは苦悩しているわけだ。
自分は幸せになるための行動をしているはずなのに、一向に幸せを感じない。おかしいではないか、どうなっているのだ? と。
もちろん、東京府荏原郡の片隅で地味に暮らしているわたくしも、そのように苦悩しているひとりの凡人にすぎない。
ただ、さすがに50年も生きていると「おばあちゃんの知恵袋」ではないが、人間それなりの知恵は付いてくる。そしてその知恵を炸裂させた結果、最近の自分は「幸せへと至る方法」をおぼろげに編み出しつつはあるのだ。
今回は、そのおぼろげな方法を貴殿にお教えしよう。当世風に言うなら「シェアさせていただきます」をさせていただこう――と思うのである。
結局すべては「気分」の問題だ
幸せになる方法。それは「1日のうちで『あぁ、なんだかいい気分だなあ、生まれてきて良かったなあ」と思える瞬間瞬間の数をなるべく増やすこと」だ。
結局のところホモサピエンスは「気分」で生きている。もっと偏差値高そうな言い方をするなら「すべては認知とアルゴリズムの問題である」という感じになるのだろうが、見栄を張っても仕方ないので自分の言葉で書くこととする。結局すべては「気分」なのだ。
客観的に見てかなり素晴らしい物質や現象に囲まれていたとしても、その事象の中心にいる人間の気分が「あーつまんね。死にてえな、軽く」的に最悪なものであったなら、素晴らしき物質や現象にはなんの意味もなくなる。
だが逆に「気分」さえ良ければ、たいていの物質や事象は光り輝いて見える。