
ドジャース大谷翔平投手が3年連続40号の大台に達し、昨年の自己最多54本塁打に次ぐ2年連続50号到達も秒読みとなっています。8月に入って打率の急上昇とともにホームランの量産ペースが上がり、早ければ今月中にも50本塁打を達成しそうな勢いです。
米球界でシーズン「50本塁打」は超一流スラッガーの証しと言えます。これまでの記録を調べてみると、メジャーリーグ史上32人が50本塁打以上をマーク。そのうち、10人が複数回にわたり50本以上を放ち、そのうえ2年連続となるとわずか5人しかいません。
まずは伝説の本塁打王ベーブ・ルースです。1920年レッドソックスからヤンキース移籍と同時に打者に専念し、いきなり前年の自己最多の29本を大きく上回る54本塁打をマーク。なんと、他の15球団中14球団のチーム全体を上回るホームランを1人で打ちました。
さらに翌年は自己記録を更新する59本塁打を放ち、初の2年連続50本塁打をマークしました。27年には前人未到の60本塁打を放ち、翌年も54本塁打で2度目の2年連続50発以上を記録。ホームランバッターとして不動の地位を築きました。
それ以来、しばらく2年連続50本塁打以上を打つ選手はいませんでしたが、96~99年にマーク・マグワイア(アスレチックス、カージナルス)が4年連続50本塁打以上、98~2001年にはサミー・ソーサ(カブス)も4年連続50本塁打以上を記録しました。特に、98年はマグワイアが70本、ソーサが66本と「世紀の本塁打レース」を演じました。
同じ時期の97、98年にケン・グリフィー(マリナーズ)も2年連続50本塁打以上、01、02年には「A・ロッド」ことアレックス・ロドリゲス(レンジャーズ)も2年連続で50本の大台に乗せました。
ただし、メジャーの時代背景や球場などを考察すると、ルースが記録した1920年以降は「飛ぶボール」の時代と呼ばれ、ホームラン時代が到来しました。また、23年開場の「ルースが建てた家」と呼ばれたヤンキースタジアムは、右翼ポールまでの距離が約90メートルしかなく、左の強打者ルースにとって大いに恩恵を受けました。
また、90年代後半は「ステロイド時代」と呼ばれ、マグワイア、ソーサ共にステロイドなど筋肉増強剤の使用疑惑が取り沙汰され、周囲から批判を浴びました。その結果、10年にマグワイアは薬物使用を認め、昨年12月にソーサも謝罪。いずれも記録の価値は損なわれました。
それに対し、同じステロイド時代でも、グリフィーは潔白な選手でした。それだけに正真正銘の好記録であり、球団史上最高の選手としてたたえられています。しかし、強いて言うなら、当時マリナーズの本拠地キングドームは外野が狭く、ホームランが出やすい球場。多少なりとも本拠地球場の恵みを受けたと言われます。
一方、当時マリナーズでグリフィーと同僚だったA・ロッドは、01年レンジャーズ移籍後、2年連続50本塁打以上でタイトルを獲得。しかし、その後、当時の薬物使用を認め、これまた記録の価値が下がりました。従って、マグワイア、ソーサ、A・ロッドの3人は論外と言えます。
そんな中、大谷が2年連続50本塁打へカウントダウン。とりわけ、ドジャースの本拠地ドジャースタジアムは投手有利な球場とされ、実際にそれまでの球団記録は01年ショーン・グリーンの49本でした。長い歴史で50本以上打った選手が皆無だったことを考えても、偉大な記録です。
ましてや、今年は投打二刀流を続けながらやってのけそうなことに価値があります。ヤンキースの主砲アーロン・ジャッジも2年連続50本以上のペースで打っていますが、大谷の2年連続50本塁打こそ、達成したら、とてつもない偉業と言えそうです。
【大リーグ研究家・福島良一】(ニッカンスポーツ・コム/MLBコラム「福島良一の大リーグIt's showtime!」)