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【甲子園】全国制覇は未来へ持ち越し 小倉イズム基盤に新たな風、日大三・三木有造監督


沖縄尚学対日大三 1回、指示を出す日大三・三木監督(撮影・藤尾明華)

<全国高校野球選手権:沖縄尚学3-1日大三>◇23日◇決勝◇甲子園

14年ぶり優勝は、あと1歩のところで届かなかった。日大三(西東京)は初回に先制しながらも、沖縄尚学に逆転負け喫し準優勝に終わった。

勝者の姿を、しっかりと目に焼き付けた。三木有造監督(51)は、泣き崩れて立ち上がれない田中諒内野手(2年)に優しく声をかけた。部長として、優勝を経験してから14年。監督としての全国制覇は、未来へ持ち越しになった。

「最初はやりたくてやったわけじゃない」と笑う。23年春、長きにわたり日大三の監督を務め、春夏合わせて18度の甲子園に導いた小倉全由(まさよし)氏(68)が定年退職。11年から部長として支え「(小倉)監督が辞められて、自分も一緒に辞めますっていうのが筋かなと思っていた」と、日大三を離れる覚悟でいた。ところが「三木がやんなきゃだめだ」と、小倉氏に何度も説得されて監督を引き受けることになった。

2度の全国制覇を成し遂げた名将から引き継ぐプレッシャーは、全く感じなかった。「(人生の)半分以上は小倉全由と一緒にいたんで。周りは、そういう風に見られてたんですけど。(小倉)監督がやってきたことが土台にあって、それを一生懸命やっていこうと」。常に選手を思う小倉イズムを基盤に、新たな風を吹き込んだ。

選手との距離感は独特だ。毎朝4時半ごろには寮に来て、朝食を選手とともにする。「できること、このぐらいしかないので。彼らは親元を離れて合宿所で生活している。学校で生徒に会って『おはよう』というわけにはいかない」。あいさつは朝一番に寮で選手に伝える。それが、覚悟を持って野球に取り組む選手たちにできること。“三木流”の1つの答えだ。

采配も選手に相談することがある。「1人で考えるのも嫌なので。だめですかね(笑)」。準決勝・県岐阜商戦の延長10回。足をつった田中諒に代えて、古関を一塁の守備に送り出したのも、選手からの意見だった。古関は見事に最後の打者の痛烈な一ゴロをさばいて勝利。三木監督は「代えてなかったらと思うとね」と、胸をなで下ろした。選手が声を上げられるのは信頼関係があってこそだ。

「小倉だったらどうしていたかと言われることも多いし、自分でもよく考えます」。比較されることは気にしない。「自分は小倉全由にはなれませんので。(選手たちの)兄貴分でいたいですね」。選手たちとともに、悔しさを未来へつなげる。【北村健龍】

◆三木有造(みき・ゆうぞう)1974年(昭49)5月23日、和歌山県生まれ。日大三では捕手としてプレーするも甲子園出場はなし。東洋大卒業後は日大三のコーチ、副部長をへて11年に部長へ。小倉全由前監督の定年退職により23年春に監督就任。甲子園出場2度(23年夏、25年夏)。

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