
<全国高校野球選手権:沖縄尚学5-4山梨学院>◇21日◇準決勝◇甲子園
沖縄尚学が戦後80年の節目の年に、同校初の夏制覇へあと1勝とした。3点ビハインドとなった6回途中から新垣有紘(ゆいと)投手(2年)が登板。9者連続で打ち取るなど、9回まで無失点の快投で逆転勝ちを呼び込んだ。打線も組み替えが奏功。3番から5番に打順変更となった比嘉大登内野手(3年)が同点の7回に右前へ落として決勝点をたたき出した。22日は休養日が設けられ、日大三(西東京)との決勝戦は23日午前10時から行われる。
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ゲームセットの瞬間、マウンドで笑ったのは沖縄尚学の新垣有だった。飛球を捕手がつかむのを確認すると、背番号10がガッツポーズ。「ホッとしました。末吉だけじゃないんだぞというのを見せつけられたかな」と白い歯をこぼした。
6回。リードを3点に広げられ、なおも2死二、三塁。同学年のエース末吉良丞からバトンを受けた。今夏初めての継投パターン。「あとは任せた。思い切り全力でいけ」との言葉とともに背中をポンと押されると、スイッチが入った。「やってやろうという気持ちしかなかった」。3番梅村を二ゴロに打ち取り、流れを断つと、7、8回と完全投球。1点リードの9回には2死一、二塁を招いたが、冷静に打ち取って決勝進出を決めた。
末吉はチームの絶対的エースで、新垣有もライバル視する。4失点で途中降板したエースを右腕が救った。新垣有も今大会で3試合に登板し、14回1/3を1失点と好投して存在感を大きくした。“俺もいるぞ”と言わんばかりの快投だったが、「まだまだ差はあると思う」と謙虚に振り返った。
打線の組み替えも奏功した。7回に決勝打を放った比嘉大登内野手(3年)は準々決勝・東洋大姫路戦での3番から5番に変更。「打順が変わっても、自分のやることは変わらない。本当にすごくうれしい」と充実感を漂わせた。比嘉公也監督(44)の「リラックスしてくれたら」という思いが形となった。
今年は終戦から80年。民間人を含めて多くの犠牲者を出した沖縄戦は県民の心に深く刻まれる。ベンチ入り20人中18人が沖縄出身の「うちなんちゅ」。比嘉監督も「祖母からよく悲惨さを聞いていました」と代々語り継がれている。
比嘉監督は沖縄勢として春夏通じて初優勝した99年春に沖縄尚学のエースとして日本一に導いた。その後、母校を率いた比嘉監督が08年春に2度目のV。興南が10年に春夏連覇して初めて深紅の大優勝旗を沖縄に持ち帰った。そのとき以来の沖縄勢の決勝進出。指揮官も「激戦地だった沖縄で、80年にあたるところで決勝戦に進出できることは価値があると思います」とかみしめる。同校初で、沖縄勢2度目の夏制覇は目前だ。【林亮佑】
◆沖縄勢の夏決勝 10年春夏連覇の興南以来、15年ぶり4度目。過去は90、91年に栽弘義監督(故人)の沖縄水産が2年連続準優勝。10年の興南が島袋洋奨投手らの活躍で県勢では初めて夏の大旗を手にした。沖縄尚学はセンバツで99、08年に2度優勝しており、夏の決勝進出は初めて。
◆東京対沖縄 過去は春夏通算で東京の6勝5敗(春3勝2敗、夏3勝3敗)とほぼ互角。10年春は興南が準々決勝で帝京、決勝で日大三に勝って優勝。直近では23年春、東海大菅生・日当直喜(現楽天)が沖縄尚学をスコア1-0で完封している。
◆2年生投手だけで決勝 沖縄尚学の投手陣は、ここまで5試合を末吉、新垣有の2年生コンビだけで乗り切り決勝進出。夏の大会で3年生投手を使わず決勝に進出したチームは、13年の前橋育英(高橋光成、喜多川省吾の2年生2人)以来12年ぶり。