<全国高校サッカー選手権:龍谷富山0(5PK4)0那覇西>◇29日◇1回戦◇味フィ西
創部21年目で初出場の龍谷富山が、総体(インターハイ)も含めた全国大会で初勝利を挙げた。4年ぶり18回目の那覇西(沖縄)と対戦。そのまま就任21年目の浜辺哲監督(45)は、初全国に「那覇西さんがあまりにも強すぎて、内容は完敗。苦い味、ほろ苦かった」と感服しながらも「体を張って守る選手たちの魂を感じた。熱いゲームを富山に届けられたかな」と楽しみ抜いた。
シュート数は4本-10本と上回られた。うち7本を前半に浴びる劣勢で「大敗も脳裏をよぎった」が、イレブンが粘る。0-0から持ち込んだPK戦では、GK吉田啓剛(2年)の気迫が相手を推したのか、那覇西4人目が左ポストをたたく。直後に5人目としてキックを任された吉田が自ら決めて5人全員成功とし、望んだ全国1勝をつかみ取った。
GK出身の浜辺監督が勝負勘を光らせた。今回の総体県予選では準々決勝で敗退。富山北部に、この日と反対の0-0(PK4-5)で屈していた。
「全国でもまたPK戦を迎えたわけですけど、あえて、インターハイで止められてしまった選手を3番目に送り出して。『自分自身で壁を乗り越えてこい』ということで。小坂(力也=MF)という選手なんですけど、彼が決めれば勝ちというところで止められて、負けたので、いろいろな恐怖とかプレッシャーとか緊張感とかあったと思うんですけど、しっかりと乗り越えてくれた」
勝利を決める5人目のキッカーも、自身と同じGKの吉田を指名した。本来、不動の1番手だったDF宮林渉(3年)が終了間際に退場したことで、繰り上がった形だが、期待に応えてくれた。
「本来であれば蹴らせたくない、止める方に専念させたいという状況なんですけど、彼はキックがうまかったので。自信を持ってはいましたね。このゲームですら、彼らの成長を私は楽しみにしているので。いろいろな困難を乗り越えてほしい思いもあって。私もキーパー出身として全幅の信頼を置いていたし『決めてこい!』という意識で指名した」
宿願を成就した。龍谷富山は1999年(平11)に男女共学化。04年に「野球部かサッカー部か」模索された中で浜辺監督がサッカー部を創部し、ちょうど20年が経過した24年度に全国への道が開けた。
千葉・習志野高時代に本田裕一郎監督(当時)の薫陶を受けた。東京学芸大では、全日本大学選手権(インカレ)や総理大臣杯を経験。ちょうど前日28日、今大会の開幕戦で、大学の1学年下だった藤倉寛監督(44)の帝京(東京B)が17大会ぶり勝利。「めちゃくちゃ自分も! という気持ちになっていた」という浜辺監督も、自校に歴史的1勝をもたらした。
「創部した時は、ちょうど11人だったかな。経験者もいましたが、もちろん未経験者もいた中で始めて」
最初の対外試合は富山東に0-15。前半だけで8点を奪われる大敗から、挑戦がスタートした。徐々に認知度が高まり、同監督も慕って人が集まるようになった。主将のFW横山旺世(3年)は、来季J2復帰するカターレ富山のU-15出身。同年代の高円宮杯に出場し、全国を早くから経験していた。
龍谷富山では不動のエースとなり、選手権の県準決勝では富山第一の10連覇を阻むハットトリック。勢いに乗った背番号10は決勝でも運命的に、あの20年前と同じ富山東に2-0でリベンジして、初の全国に導いた。
21年目の白星。浜辺監督は、万感の思いはありながら明るく振り返る。
「長かった。もっと早く全国大会ぐらい出られるだろうって始めた職業だったけど、本当に富山県で伝統校の壁の厚さ、強さを見せつけられてきたので。惜しいところまで行ったシーンは何回かあったんだけど、今年、全ての歯車が初めてかみ合った。今までは、どこかで(上着の)チャックが引っかかっているような感じで、今年はスムーズにチャックが開け閉めできたような」
先発11人中7人が2年生の陣容ながら「3年生がxほっとずつ大人になって、チームのことを考えてくれるようになってから、歯車がかみ合い始めた」と感謝を忘れない。「勝ち負けの前に人として」の信念を選手たちが体現し、この日に結実した。
31日の2回戦は、同じ味の素フィールド西が丘で松山北(愛媛)と対戦する。「せっかくチャンスをいただいたので、次も思い切ってやってもらいたい。宮林の不在は痛いけど、代わりの選手がやってくれる。とにかく楽しみたい」。浜辺監督と龍谷富山イレブンが2勝目に挑む。【木下淳】