「貧乏」と「貧困」を考える
こんにちは、石川です。
年末・年始は日本人にとっては、息抜きをする期間でもあり、来年度の仕事や学業などに思いを馳せる大事な時でもあるわけですが、そんな時にもこんなニュースが流れるのが今の日本なんですね。
急務の「貧困」対策…一人親家庭の「預貯金ゼロ」は半数近く「公共料金滞納」「家賃滞納」も。神奈川県調査(産経ニュースより)
以前にもお話ししたかもしれませんが、私は、ファイナンシャル・プランナーとして、国の事業である「生活困窮者自立支援事業」の家計相談を担当しています。
その立場から、最近よく話題になる「貧困」についてお話ししたいと思います。
皆が貧乏だった時代
かつての戦後しばらく、日本は「皆が貧乏だった」と言われていました。
食べるものもなく、着るものもない時代が、今では想像がつかないと思いますが「確かにあった!」んです。
そして、経済成長が起こり、だんだんと「貧乏」な人は少なくなり、一億総中流社会が到来したわけでした。
誰もが「ふつう」の暮らしができていて、それなりの人生を「何となく」送り、そしてそんなにお金の苦労を感じることなく、生涯を終える。
そんな人生を多くの国民が思い描いてた「いい時代」だったと、今では思います。
バブル期を経て現在は…
ご存知のように1990年代にバブルが起こり、そしてバブルはまさに泡と消え、そこからは景気も「低空飛行」を続けるこの時代に繋がってくるわけです。
で、ここ数年は「貧困」がそう特別なことではない、という空気(記事)が普通になりつつあります。
では、皆さんにお聞きしますが、
私も、社会人を数年経験したのちに、自営業をしてみたり、また就職してみたり、再度自営業に戻ってみたりと繰り返してきました。
そんなことをしていたもんですから、ある時期は収入が激減して、お金に困り、貯金を取り崩したり、お恥ずかしいことに親の経済的支援を受けたこともありました。
そんな私は、ある時期「貧乏」ではありましたし、傍目にも「石川は貧乏になっているんでは?」と思われたことでしょう。
では、あなたはその時は「貧困」でしたか、と問われると、それはきっと違うのだろうと思うのです。
決してこれは感覚の問題ではなく、貧乏と貧困は決定的な違いがあると私は考えます。
「貧乏」とは?「貧困」とは?
貧困とは、お金がない「環境」から抜け出せなくなっていること
というのが、私が生活困窮者自立支援事業に関わることになり、いろんな困窮世帯のご相談をお受けしての「確信」に近い「感想」です。
スパイラル化しやすい「貧困」
言い方を変えると、貧乏になるきっかけは誰にでもあるし、また努力や頑張りで「抜け出す」ことも可能であると思います。
だから戦後のあの「貧乏」な状態から、多くの国民が抜け出して、貧乏を卒業できたのではないでしょうか?
では「貧困」はどうでしょうか?
貧困はスパイラル化しやすいと言われていますが、それはやはり貧困を引き起こすのが「環境」であるからだと思います。
つまりその人を「貧困」にしてしまう要因(それは環境でもあるわけですが)が無くならない限り、その連鎖を断ち切るのが難しいと考えられます。
・ 精神疾患などで障害状態になった
・ 想定外に重い病気にかかった
・ DV被害から母子世帯になった
・ 多重債務から抜け出せなくなった
・ 税金の滞納がなかなか解決できない
などの要因(=環境)が一つではなく、複数で絡み合ってその人を苦しめている以上「貧乏という状態から、貧困という環境へと傾いていく」ことが可能性としてあり得ます。
こうなると、当面の問題である「お金が無い」を解決しても、その要因(=環境)が残ってしまうと、結局は「貧困」の連鎖の中に居続けることになるでしょう。
「貧困」と「貧乏」が同じように論じられている
これが今世間で言われている「貧困」だと思いますが、時として、貧困と貧乏がごちゃまぜになって論じられているので、「ただ働かないぐらいで、生活保護を受給しているなんて、甘えるな!」という意見が生まれてしまいます。
しかし、よくこんなケースを分析してみると
ことが原因で、さらに
という内容なのかもしれません。
もし、そうならば「働かないぐらいで、生活保護を受けるな!」という意見を、あなたはその立場になった自分、つまり貧困化しつつある自分にも言えるでしょうか?
最後に
生活困窮の問題は、とかく感情的に論じられることが多い問題です。
しかし、一歩下がってみたら、その人が「貧困」のスパイラルに陥っていたとしても、あなたはその人に「頑張ればすぐに何とかなる!」、「とにかく働きなさい!」と言えるのでしょうか?
その冷静さをもって、この「貧乏と貧困」に事は考えてほしいと思います。(執筆者:石川 智)