
コメの記録的な価格高騰が続く中、3月30日に東京・渋谷でトラクターに乗ってのデモ行進など、全国14都道府県で一斉に行われた「令和の百姓一揆」。その実行委員会代表で山形県長井市のコメ農家、菅野芳秀さん(75)は「国まかせ人まかせで明日もコメが食べられるだろうと安直に捉えないで」と指摘し、持続可能な食料生産と消費の仕組みを地域で作ろうと呼び掛ける。立ち上がった真意を聞いた。【聞き手・長南里香】
――デモはどんな様子でしたか。
◆東京では青山から代々木公園まで、トラクター約30台に乗った農家を先頭に、賛同した幅広い世代の市民も歩いて参加してくれた。総勢4500人(主催者発表)が「農業守ろう」「国産守ろう」などと声を上げた。思い思いの格好で手作りしたプラカードを掲げる参加者もいて、実にポジティブで前向きで個性豊か。先頭の私が六本木、原宿を通ると若者たちが「頑張れー」と声援を送ってくれた。
――どんな狙いが。
◆農業を守る運動は農民だけの運動ではなく、市民の命や食料に関わる問題。みんなの連携で日本の農業をもう一度再興し、新たな流れを作っていこうと考えた。
――農業の窮状も訴えました。
◆農家は絶滅危惧種なんです、何年も前から。私が26歳で就農した1976年当時は、集落の全43軒の中で稲作農家は35軒いたが、現在は7軒。40代は息子1人で、他は60~80代。耕作放棄地も出てきた。
――なぜでしょうか。
◆農家が怠けていたからではない。コメの過剰生産を抑える減反政策が半世紀以上も続き、生産意欲と技術が削り取られた。「時給換算10円」とされるコメ作りだけでは食べていけない。離農が加速して終わりが見えてきているいま、全国に農家が残っているうちに、その人たちを起点にして連携する最後のチャンスだと思った。
――どんな連携ですか。
◆農家と消費者が食料生産と消費の仕組みを地域的に作っていくことだ。地域農業は学校給食や病院食に提供する作物作りなど、住民をサポートしていく観点できめ細かく行われるべきだ。地域の特性に応じた取り組みが集まって日本列島を構成すれば、実に強靱(きょうじん)な農業が出来上がってくるんじゃないか。大規模農家からプランター栽培に取り組む市民まで多様な担い手が食料生産に参加し、安定的な地域農業と社会の関係を築いていくことが大事だと思う。
――近年のコメ作りは異常気象の影響も心配されています。
◆真夏の田んぼに入れば、上からはジリジリとした日差しの異常な暑さ、下からは水蒸気ムンムンの熱気。そこに無防備で稲たちがいるわけだから、まいってしまうよね。収穫後に精米すると高温障害の影響で歩留まりが悪く、収量は予想より少なくなっている。
――求める国の支援とは。
◆農家の所得が気候変動や需給バランス、政変などの影響で市場価格に左右されるような現在の状況では持続的な生産は不可能だ。農家には所得が影響を受けないような価格保証が必要で、消費者にはコメを安定して手に入れられる生活支援が欠かせない。国民に危機を感じさせない食料政策をどう実現していくのか、国の責任が問われている。
――今後の活動は。
◆全国行脚して農家と地域作り、食の安全の重要性を訴える。私は30~40代のころ、隣り合う川西町出身の劇作家の井上ひさしさんが自らの暮らしを生活者の視点で見つめ直そうと提唱した「生活者大学校」に何度か呼ばれ、「農の大切さを訴えて全国を回ったらどうだろう。いけると思う」と提案されたことがあった。彼は農業農村をつぶすなという主張で一貫していた人。当時投げかけられた言葉を実行に移す時が来た。
かんの・よしひで
1949年生まれ、山形県長井市出身。明治大農学部卒業後、労働運動への参加などを経て帰郷。76年に就農し水田5ヘクタールと自然卵を生産する養鶏の複合経営をする。家庭の生ごみを堆肥(たいひ)化して育てた農作物を市民に供給する長井市の循環型地域作り事業「レインボープラン」の礎を築いた。大正大地域構想研究所客員教授。置賜自給圏推進機構共同代表。