
俳優松村雄基(61)が、26~31日に東京・日本橋の三越劇場で舞台「祖国への挽歌~日系人マフィア モンタナジョーの生涯」に主演する。実在した日系アメリカマフィア、モンタナ・ジョーを演じる。日系2世としてカリフォルニアに生まれ、第2次世界大戦中は強制収容所に入れられ、日系人の442部隊に所属してヨーロッパ戦線で活躍した。19年、23年に次ぐ2年ぶり3度目の上演に臨む、松村に聞いてみた。【取材・構成=小谷野俊哉】
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舞台は現代劇、時代劇、ミュージカルと幅広く出演している。93年に30歳の誕生日を前にして、初めて出演した舞台が民音のオリジナルミュージカル「元禄 花の恋侍」だった。
「役者としてデビューしたのが80年。そして81年にはCBSソニーから、一応レコードを出していたんです。コンサートもやった経緯があったから『あいつ歌えるんじゃないの、歌ってたんじゃない』っていう風にオファーがあったんだとと思います。舞台に初めて出たのが30歳くらいだったんですけど、20代はずっと大映テレビ制作のドラマでやんちゃな役をやっていました。それがだんだん中年になって来て、ちょっとやんちゃな役が減ってきたなと思ったら、舞台からお声がかかってやるようになった。最初がミュージカル『元禄 花の恋侍』だったんです。その後にミュージカルの『源氏物語』で、これは旅公演が多かったです。その後に明治座で若尾文子さんとご一緒したのが『花の情』という1カ月公演の舞台だったんです。普通の商業演劇の前にミュージカルに出て歌っていたんです。30代半ばの時はミュージカル『南太平洋』に出て、海兵隊のジョー・ケーブル中尉を演じていました」
歌手デビューした81年はアイドル全盛時代。前年暮れに近藤真彦がデビューして、年が明けてから沖田浩之、ひかる一平、竹本孝之などが新人として競い合った。女子では松田聖子、柏原芳恵がデビューした。
「歌える、歌えないとか関係なくね。とにかくみんな、競ってレコードを出してていた時代ですね。レコード8社とか10社対抗の運動会にみんな出ていました。僕はCBSソニーで優勝していますから。松田聖子さんとかがいました。浜田樹里さんもいたし、中森明菜ちゃんとか、シブがき隊、堤大二郎さん、ヤッチン(曽我泰久)たちがいた、野村義男のTHE GOOD-BYEとか」
レコードデビューはしたが、芯になるのは俳優。84~85年にTBS系で放送された大映ドラマ「スクール☆ウォーズ~泣き虫先生の7年戦争~」では、不良から更生してラグビーに打ち込む大木大助を演じた。
「まぁ、イソップとか、(元日本代表)平尾誠二さんをイメージしたキャプテンとか、生徒たちも主役のドラマでしたね。ラグビーは初めてで、撮影の2、3カ月前に稽古をしてクランクインしました。それまでは、全くラグビーのことは知らなかったんです。放送の3年くらい前にモデルになった伏見工業が花園の全国大会で日本一になって、作家の馬場信浩さんが原作のドキュメント『落ちこぼれ軍団の奇跡』を書いたんです。それで高校ラグビーは盛り上がっていました。放送してる時はモデルになった平尾さんが、まだ同志社大ラグビーで活躍してる頃でしたから」
「スクール-」に代表される「大映ドラマ」は80年代に大きなブームを巻き起こし、テレビ史に大きな金字塔を打ち立てた。主人公が巻き込まれる衝撃的な展開、そしてオープニングや劇中で「この物語は……」と挿入されるナレーション。
「劇画とも普通のドラマとも言えないドラマって、他になかったと思います。『スクール-』の出演者は、全員ほぼラグビー未経験者。何人かはいたんですけどね。僕が演じた大木大助という役は、いろいろなモデルの人が混じってる。奈良朱雀高ラグビー部の監督になった山本清悟さん、同志社大から神戸製鋼へ進んで日本代表で活躍した大八木淳史さんとかが混じっていると。山本さんは“弥栄の清悟”と言われていて恐れられてたらしんです。それから“川浜一のワル”となりました。あともう1人、いらっしゃって、3人をミックスして3で割ったような感じです。今でも、ワールドカップの時とかは、試合を真剣に見ちゃいますね」(続く)
◆松村雄基(まつむら・ゆうき)1963年(昭38)11月17日、東京都生まれ。80年テレビ朝日「生徒諸君!」で俳優デビュー。84~85年TBS「スクール☆ウォーズ」。88年映画「恋子の毎日」。94年(平6)NHK連続テレビ小説「ぴあの」。99年舞台「ミュージカル 南太平洋」。18年映画「聖域 組長の最も長い一日」主演。178センチ。B型。