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【悼む】作品は歴史や社会のひずみを映し出した篠田正浩さん、妻の岩下志麻のことではいつも笑顔


映画監督の篠田正浩さんが94歳で亡くなりました。彼は「心中天網島」や「瀬戸内少年野球団」といった作品で知られ、歴史や社会の歪みを映し出す作風を持っていました。篠田さんは反権威の姿勢ながら、対立することなく自由な表現の道を選びました。また、彼の妻岩下志麻さんに対しては常に笑顔を崩さず、彼女が泥臭い作品「極道の妻たち」で成功したときも嬉しそうに応援していました。ベルリンの壁崩壊前の東ベルリンでのロケ経験もあり、当時の落ち着いた様子が印象に残ると回想しています。

映画「スパイ・ゾルゲ」公開初日舞台あいさつで岩下志麻(左)から花束を受け取る篠田正浩さん(2003年6月撮影)

<悼む>

69年「心中天網島」、84年「瀬戸内少年野球団」などで知られる映画監督の篠田正浩さんが、3月25日午前4時55分に肺炎のため亡くなった。94歳だった。

   ◇   ◇   ◇

郷ひろみを主演に迎えた「舞姫」の東ベルリン・ロケに同行したのは88年9月。ベルリンの壁が崩壊する1年前のことだった。

激動を前に不思議なほど静まり返ったロケ地で「東側は19世紀の石造りが残っていて『舞姫』の舞台にはぴったりなんだよね」と、ひょうひょうと語った姿を覚えている。当時、東西に分かれていたドイツのスタッフをしっかりまとめ、当たり前のように「アフトン(用意)」と号令を出した。

反権威の姿勢で、30代で所属の松竹を出たが、真っ向から反旗を翻した大島渚監督らとは違い、一拍おいてさりげなくフリーになった。けっこうな大仕事をさりげなくやってしまうところにこの人の美学があったように思う。

姿勢は一貫していて、「はなれ瞽女おりん」や「少年時代」…作品は多様でも必ず歴史や社会のひずみを映し出した。

対照的に、妻の岩下志麻のことではいつも笑顔を隠さなかった。自身の作風とは正反対の泥くさい「極道の妻たち」で高評価を得たとき、「頑張ってる」とうれしそうに語った笑顔を覚えている。【相原斎】

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