本日5月5日より、二十四節気立夏です。暦の上での「夏」は旧暦の4月からですから、今年は現在の暦で5月12日からが夏ということになりますが、気温は上昇して生命活動はいよいよ活発さを増し、夏が目覚めてウォーミングアップをはじめる頃と言えます。立夏の節気中の5月11日、ひっそりとめぐってくるのが近代自由詩最大の巨星ともされる萩原朔太郎(1886~1942年)の朔太郎忌です。近代詩を現代詩に橋渡しし、日本のポエジーの伝統に大変革をもたらした大詩人です。
日本詩史の大革命。『月に吠える』がもたらしたインパクト
萩原朔太郎は明治19(1886)年11月1日、群馬県東群馬郡(現在の群馬県前橋市)の開業医の家庭に生まれました。旧制中学時代から詩や俳句を書き始め、26歳の大正2(1913)年、わずか一歳年長ながら既に大詩人として活躍していた北原白秋の主宰する文芸誌『朱欒(ざんぼあ)』に作品が掲載され、詩人として出発します。
そして大正6(1917)年2月、日本自由詩史上不朽の名作として名高い詩集『月に吠える』を自費出版します。神秘的な象徴性、怪奇性と耽美性の融合による斬新な内容もさることながら、文語と口語の混じる自在な文体と独自のオノマトペ(擬声語)は、当時の文学界に衝撃を与える革命的なもので、森鴎外や斎藤茂吉は手放しで絶賛をしたのでした。
その以前に白秋によって提議された「詩の愛唱性」。白秋は短歌や俳句などの伝統的詩歌を支配する七五調の定型音律(リズム)を自由詩にも継承し、「謡う」ものとして確立させようとしました。これに対し朔太郎は七五調を排して詩人自身の内面に流れる感覚的な音律=「内部音律(インナアリズム)」をもとに新たな詩世界を創造しました。また独創的なオノマトペに基づく新たな韻律を創造したのです。
朔太郎が天才的だったのは、その新しいかたちの詩にもりこむモチーフを、定型詩で従来歌われてきた古典的な花鳥風月や恋、人間的な喜怒哀楽の感情表出としなかったことです。選んだのは闇夜を徘徊し咆哮する奇怪なけだものや、ざわめき増殖する樹木、暗がりや水底に潜み蠢く虫や鳥、軟体生物や爬虫類などでした。
されどもしののめきたるまへ
私の臥床(ふしど)にしのびこむひとつの憂愁
けぶれる木木の梢をこえ
遠い田舎の自然から呼びあげる鶏(とり)のこゑです
とをてくう、とをるもう、とをるもう。(『鶏』より)
半身は砂のなかにうもれてゐて
それでゐてべろべろ舌を出してゐる。
この軟體(なんたい)動物のあたまの上には
砂利や潮みづがざらざらざらざら流れてゐる
ながれてゐる
ああ夢のやうにしづかにもながれてゐる。(『くさつた蛤』より)
文語と口語、生硬な専門用語の不思議な融合、天賦の才としか言いようがない内部音律、そしてオノマトペの強烈な効果が感じられることと思います。この内部音律とオノマトペによる表現方法は、中原中也、宮沢賢治、草野心平らに大きな影響を与え(草野心平は朔太郎を、日本近代詩の『母』と語っています)、日本の近代詩を現代詩へと脱皮させる大転換をもたらしたのです。
朔太郎の詩には初夏が多い…そのわけとは?
それにしても、詩業後期の『氷島』では朔太郎の詩風は寂寥の風が吹きぬける北関東の冬を詠う印象が強烈なのですが、初期・前期の『月に吠える』『青猫』『蝶を夢む』などでは、晩春から初夏にかけてのなまあたたかい季節の気配が濃厚に漂っています。
ささげまつるゆふべの愛餐
燭に魚蝋のうれひを薫じ
いとしがりみどりの蜜をひらきなむ。
あはれあれみ空をみれば
さつきはるばると流るるものを
手にわれ雲雀(ひばり)の皿をささげ
いとしがり君がひだりにすすみなむ。(『雲雀料理』)
これなどは、ゴシックホラー調と言ってもいいでしょう。5月の空にほがらかに囀るはずのヒバリを血祭りにして、魚蝋の蝋燭を灯して「いとしがり君」の食卓に捧げる下僕のような「われ」。
もろこしの葉は風に吹かれて
さわさわと闇に鳴ってゐる。
お聴き!しづかにして
闇夜の向ふで吠えてゐる
あれは犬の遠吠だよ。
のをあある とをあある やわあ
「犬は病んでゐるの?お母あさん。」
「いいえ子供
犬は飢ゑてゐるのです。」 (『遺傳(いでん)』より)
これらの生き物に仮託されているのは、生命や世界の隠された秘所で蠢く得体の知れない何か、理性や文明で制御することが不可能な生理現象と言えます。朔太郎の微生物の繊毛のような繊細な神経は、春の深まりとともに高まり増幅するそれらの微弱な鼓動や這い寄る音を鋭敏に察知します。善悪も美醜も一切かかわりなく貪欲に意思をもって蠢く生命のありようを、ふるえながら執拗にのぞき見るのです。
それは私たちが「怪談」や「お化け屋敷」「ホラー映画」「心霊特集」などに悲鳴を上げながらものぞき見てしまう心理と同じ原理です。人は得体の知れない異形の存在に怯えたり忌避しながらも惹きつけられずにはいられないのです。
ホラー・怪談と言えば日本では夏が定番です。それはお盆行事がやってくるからということもありますが、冬と比べて鬱蒼と草木が茂り、生き物が満ち満ちて活動する暖かい季節は、それだけで闇や物陰に「何かがいる」気配が濃厚だからこそではないでしょうか。とするなら、生物たちが盛んに生殖し、生長し分裂する初夏こそが、その気配がもっとも濃密な季節であると言えます。朔太郎は直感でそれを嗅ぎ取って、詩世界に反映させたのです。
怖いけどつい見てしまう…朔太郎の詩は心霊ホラー映画?
朔太郎の生物へのまなざしは、イソップ童話や夏目漱石の『我輩は猫である』、井伏鱒二の『山椒魚』、芥川龍之介の『河童』、あるいは頻繁に女性をネコに喩えたボードレールに見られるような擬人化とはちがいます。
かと言って、志賀直哉や長塚節、ルナアルなどに見られる生物への愛情のこもった共感意識ともちがいます。
朔太郎の詩世界に現れる生き物たちは嫌悪されながら凝視され、執拗にそのおぞましさをえぐりだされる対象なのです。それはホラー映画で幽霊や怪物が登場人物たちに恐怖され、逃げ惑い対峙する対象であるのと同じ(中には魔物を愛でる変化球の類の作品もありますが)。下記の詩などは、オカルト映画で怖い場面直前のぞわぞわと盛り上がる不安な場面そのままです。
僕等は電光の森かげから
夕闇のくる地平の方から
烟の淡じろい影のやうで
しだいにちかづく巨像をおぼえた
なにかの妖しい相貌(すがた)に見える
魔物の迫れる恐れを感じた。(『自然の背後に隠れて居る』)
そんな朔太郎ですが、有名な詩である「猫」「猫町」や、詩集『青猫』の印象から、ネコを愛したかに思われがちですが、実生活では愛犬家で、シェパードの混じった大型犬を飼っており、親友の室生犀星や弟子の三好達治が「獰猛な猛犬」と恐れていたエピソードが伝わっています。
朔太郎自身も自分を痩せさらばえた犬に比況していて、対してネコについては、恐るべきものが満ちた世界をしなやかにすりぬけて生きる器用でしたたかな動物だと羨望をもって捉えていたようです。
臆病で来客を嫌う対人恐怖症でもあったと言われる朔太郎。自宅で娘たちにつたない手品を見せたりマンドリンをたしなむなど、「ステイホーム」の元祖的人物とも言えます。今年はご自宅で怖い映画を鑑賞する方も多いかと思いますが、あわせて朔太郎のちょっとおどろおどろしい詩世界を楽しむにも良い機会かもしれませんね。
(参考・参照)
萩原朔太郎詩集 新潮文庫
詩の原理 萩原朔太郎 新潮文庫
月刊ポエム-特集 萩原朔太郎 すばる書房
前橋文学館