「霜始降」は二十四節気「霜降(そうこう)」の初候。北国から初霜のたよりが聞かれる頃です。霜は大気中の水蒸気が地面や草木に白く結晶してできるもの。気温がぐっと下がった朝、広がる霜を見るといよいよ冬がやって来ると実感します。過ぎていく1年の感慨、月日の流れを人々はあらわれる霜に感じたのでしょう。「年月」を意味する言葉に「霜」が多く使われています。「星霜」は歳月のこと、「幾霜」は何年もの歳月という意味をもちます。1年が終わりにむかうとき、あたりを真っ白におおう「霜」の出現はめぐりくる季節の流れを確かに感じさせます。霜降る頃の私たちの生活をぐるりと眺めてみませんか。
霜は降ってこないのになぜ「降る」なのかしら? 他に言葉はないのかしら?
中国から入ってきた十四節気では霜は「降る」といいます。いち夜明けて真っ白に広がる景色に昔の人が、何かが「降った」と思っても不思議はないですね。日本では中国から入ってきた「降る」といういい方の他に「霜を置く」といういい方が古く『万葉集』から使われていました。
「居明かして 君をば待たむ ぬばたまの 我が黒髪に 霜は降るとも」
《朝まで寝ないで待ちましょう、私の黒い髪に霜が降ったとしても》
「ありつつも 君をば待たむ うち靡く 我が黒髪に 霜の置くまでに」
《このままあなた様をお待ちしましょう。揺れる私の黒髪に霜が置くまで》
2首とも磐姫皇后(いわのひめのおおきさき)が仁徳天皇を思い詠んだ歌とされています。初めの歌は「霜の降る朝まで待つわ」という一晩を詠ったものですが、後の歌は「黒髪に白髪が混じるまで、このままいつまでも」という年月を感じさせます。ともに万葉のおおらかな恋の歌ですが、「霜」を「降る」と「置く」で時間の長さを使い分けているように感じませんか? 他の歌を見てみると決してはっきりとした使い分けがあるとは考えられませんが、磐姫皇后が動詞の使い方で恋する心をさまざまに表現したかったのではないかしら、と想像したくなるのです。現在では「黒髪に霜を置く」といえば白髪になることの表現として定着しています。
「霜」を使った言い回しは他にもいろいろあるようです。これからの季節折りに触れてきっと出会えますから、気にかけていてくださいね。
霜降る頃に鮮やかに実をつける「柿」の季節です
深さをちょっと加えたようなこの頃の青空は、次第に葉を落としていく枝をくっきりと描き出します。柿色ともいわれる柿の実の濃いオレンジ色は、寒さを感じる季節に生き生きとした明るさを発しています。柿は人それぞれ食べ頃が違うのも面白い果物ではありませんか? かたいのが好き、じゅくじゅくのをスプーンですくって食べるのが好き、など熟す頃合いで美味しさ味わいもそれぞれです。干し柿にも枯露柿のように粉をふいてカチッとした歯ごたえのもの、あんぽ柿のやわらかい口あたりとあげていくと、あらためてさまざまな美味しさがある柿の楽しさを感じます。
柿は美味しさだけではありません、木はその堅さから家具をはじめ多くの用材として使われています。ゴルフのドライバーなど、ウッドクラブのヘッドに使われるパーシモン、柿の木が身近でしょうか。柿につきものの渋は防腐剤として紙、木や麻に使われてきました。またこの渋を抜けば甘柿になるという素晴らしい性質をもっています。渋柿が簡単に甘柿になることから「変わりやすい性格」「融通の利く性質」を「柿根性」というそうです。そういわれたら喜んでいいのかどうか? ちょっと考えてしまいます。ちなみに「柿根性」の反対はおわかりになりますか?「しつこくて、変えがたい性質」ということで、酸っぱさを失わない「梅根性」という言葉もあるんですよ。
秋の果物「柿」はさまざまに味わって楽しみたいものですね。
寒くなる日本の風景に欠かせない鳥って?「千鳥」です
「浜千鳥」の歌はみなさんきっと歌ったことありますよね。
青い月夜の 浜辺には
親を探して 鳴く鳥が
波の国から 生まれでる
濡れたつばさの 銀の色
夜鳴く鳥の 悲しさは
親を尋ねて 海こえて
月夜の国へ 消えてゆく
銀のつばさの 浜千鳥
「千鳥」には「霜夜鳥」という別の名前もあります。霜の降りるような寒い夜に千鳥が鳴いているイメージでしょうか。鳥は寒くなると南へ渡っていってしまう仲間も多いなか、浜辺で飛んでいる鳥に思いを寄せる歌詞には寂しさがあふれています。
千鳥と取り合わせのよい波が描かれた「波に千鳥」の文様はもうお馴染みですね。手拭いから着物や帯の柄に使われています。「千鳥格子」は冬にむかってジャケット、スカートやパンツに仕立てられる生地の伝統的な柄として知られています。どうも千鳥に見えるのは日本人の感覚のようで、欧米では「ハウンドトゥース」「猟犬の歯」といわれるそうです。
千鳥にちなんだ言葉はほかにもありますが、注意したいのは「千鳥足」ではないでしょうか。これからの季節は特にお気を付けくださいませ。