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「お前、それでも代表か」釜本邦茂さんにヤンマー時代からゲキを受けた西村昭宏さん恩師に感謝


西村昭宏さん(23年6月撮影)

10日に81歳で亡くなった日本サッカー界のスター、釜本邦茂さん。その釜本さんが最も信頼していた後輩の1人が、セレッソ大阪や京都サンガなどで監督を務めた西村昭宏さん(67)。西村さんしか知り得ない、宝物のような思い出を語ってもらった。(敬称略)

  ◇  ◇  ◇

大体大を卒業してヤンマーに入団した西村さんは、そこから約45年、釜本さんとの師弟関係が始まった。

ヤンマーで14歳上の釜本さんはスーパースター。西村さんも日本代表に選出されていたが、釜本さんから「お前、それでも代表か」と、尻をたたかれ続けた。この言葉がのちに、自らを成長させてくれたという。

入団1年目の81年、忘れられない試合がある。神戸市立中央球技場で開催されたヤンマーとフジタの日本リーグの試合中、中盤から西村さんが出した釜本さんへのクロスが大きく外れた。

「西村、ここに蹴れ、ゆうとるやろ。ここや、ゆうとるやろ。何回、言わせるんや」

釜本さんが怒った理由は、常日頃から「絶対にオレを見て合わせて上げろ、オレのとこだけ見とけ」と指示していたから。

ピッチと客席が近い競技場だったため、釜本さんのけんまくに観客から笑いがもれた。会場に西村さんの母親もおり、その夜、自宅で真顔で言われた。

「あんた、もうちょっと、しっかり練習しいや。釜本さん、あんなに怒ってたで」

この試合を境に、西村さんは練習場に1時間早く行くようになる。標的をめがけて蹴り続け、その影響で右足は今でも外反母趾(ぼし)だという。

入団2年目の82年、マツダとのアウェー戦。西村さんが出したクロスが、「オレの1メートル以内に蹴れ」という指示通り、ドンピシャで釜本さんに届く。

ところが、反応した釜本さんは右アキレス腱(けん)を断裂。その際の大先輩の言葉が、今も宝物だという。

「お前のボールが良すぎて、反応しすぎた。お前がうまくなったから、オレのアキレス腱まで切れたわ」

釜本さんが91年にG大阪の前身松下電器の監督に就任した際、西村さんはコーチで誘われ、Jリーグ元年を迎えることになった。きめ細かい性格の西村さんと、豪快な釜本さんは息も合った。

その後も西村さんがJリーグで監督を務めても、何の役職に就こうが、釜本さんへの定期的な報告、あいさつは最後まで欠かさなかった。

最後に会えたのは1カ月半ほど前。1度は退院して自宅に戻ってきた師を訪ねた。寝たきりの状態だった釜本さんだが、会話しようという意欲は強かった。西村さんも言葉を投げかけ、ヤンマー時代のようないつもの空気だった。

釜本さんの人生の多くに接した西村さんは、心から感謝する。

「釜本さんのシュートを打つ意識、点を取るこだわりは、僕が今まで会った人の中で、まぎれもなく一番でした。ともに行動ができた僕は幸せ者でした」

◆西村昭宏(にしむら・あきひろ)1958年(昭33)8月8日、大阪府生まれ。北陽(現関大北陽)高から大体大を経て、ヤンマーで現役を引退。W杯予選など日本代表で国際Aマッチ49試合2得点、日本リーグ通算148試合3得点。G大阪でコーチや強化部長など。日本協会で01年ワールドユース代表監督、技術委員長などを経験。C大阪、京都の監督も歴任し、24年2月まで高知(当時JFL、現J3)で監督やGMに就き、同年秋から大阪協会入り。多くの修羅場を経験したサッカー界の重鎮。

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