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釜本邦茂氏が死去 早大で関東大学リーグ4年連続得点王、メキシコ五輪銅&得点王、政治家も/年表


02年6月、2002年W杯韓国・日本大会 グループリーグH組 ロシア対チュニジア スタンドから試合を観戦する

日本サッカー界の「史上最高ストライカー」釜本邦茂氏が10日午前4時4分、大阪府内の病院で肺炎のため死去した。81歳だった。Jリーグが発表した。

68年メキシコ五輪で7得点を挙げ得点王に輝き銅メダルを獲得。日本代表として国際Aマッチ男子歴代1位の75得点を誇る。日本リーグ(JSL)ではヤンマーで202得点など選手兼任監督も担い、93年のJリーグ開幕時はG大阪の初代監督も務めた。日本サッカー協会(JFA)の副会長などを歴任しただけでなく、政治家としても活躍。「ガマさん」の愛称で親しまれた。

<釜本邦茂氏の年表>

◆1944年(昭19)4月15日 京都市右京区太秦で誕生

◆50年 京都市立太秦小に入学し、サッカーを開始

◆57年 京都市立蜂ケ岡中入学

◆60年 京都府立山城高入学。国体優勝、選手権準優勝

◆62年 世代別日本代表初選出

◆63年 早大第二商学部入学し、関東大学リーグ4年連続得点王

◆64年1月 天皇杯決勝で日立製作所を破り優勝

◆同2月21日 東南アジア遠征のタイ空軍戦で日本代表デビュー

◆同25日 同遠征スランゴール州選抜戦で代表初ゴール

◆同3月3日のシンガポール戦で国際Aマッチデビュー

◆66年12月 バンコクアジア大会で6得点を挙げ3位

◆67年1月 天皇杯決勝で東洋工業を破り優勝。これが大学生最後の頂点

◆67年4月 ヤンマー入社

◆同9月27日 メキシコ五輪予選フィリピン戦でダブルハットトリック6得点(カズと並ぶ1試合最多得点記録)

◆68年1月 クラマー氏の勧めで西ドイツのザールブリュッケンに短期留学

◆68年10月 メキシコ五輪の3位決定戦で地元メキシコを2-0で破り銅メダル獲得。7得点で得点王

◆同年 ネルソン吉村らとヤンマーを引っ張り、日本リーグ14得点で初の得点王

◆69年 天皇杯で三菱重工を相手に決勝弾を挙げヤンマー初優勝を導く

◆同6月16日 日本代表アジア遠征中にウイルス性肝炎を患い入院。西ドイツやメキシコなど各国クラブからのオファーも破談に

◆70年3月 日本代表に復帰

◆73年 W杯西ドイツ大会アジア予選敗退

◆76年 モントリオール五輪アジア予選敗退

◆77年9月14日 ニューヨーク・コスモス戦を最後に代表引退を決断。国際Aマット76試合出場75得点

◆78年 選手兼任でヤンマーの監督に就任

◆80年12月 スペインでの慈善試合で世界選抜に選出されプラティニ、クライフらとプレー

◆82年5月 日本リーグのマツダ戦で右足アキレス腱(けん)断裂

◆84年1月1日 天皇杯決勝の日産自動車戦に途中出場し、公式戦ラストマッチ

◆同年 日本リーグのPRの一環として後ろ向きのヌードポスターを披露して話題に

◆同8月25日 東京・国立競技場で引退試合。ヤンマー-日本リーグ選抜戦を行い、ブラジル代表ペレや西ドイツ代表オベラートらがゲスト参加。6万2000人の大観衆。日本リーグ通算202得点(ハットトリック13度)、79アシストを記録

◆91年 松下電器産業(現G大阪)の監督就任

◆93年 Jリーグが開幕し、G大阪初代監督と指揮

◆95年1月 G大阪の監督を退任

◆同7月23日 森喜朗氏に推薦され参議院議員選挙に自民党公認で立候補し比例区で初当選。同期当選は馳浩氏、橋本聖子氏ら

◆96年 日本サッカー協会(JFA)理事に就任

◆98年7月 JFA副会長に就任

◆99年7月 JFA2002年強化推進本部長に就任

◆01年7月29日 参院選で落選。政界退く

◆05年4月 JFA第1回日本サッカー殿堂掲額者に選定

◆08年 JFA名誉副会長に就任

◆09年2月 藤枝ネルソンCF(現藤枝)の監督就任

◆10年7月 JFA顧問に就任

◆14年 旭日中綬章を受章

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