
元J1新潟で日本代表のMF三戸舜介(22=オランダ1部スパルタ)が10日、26年W杯北中米大会アジア最終予選の最終戦、日本代表対インドネシア代表戦でA代表デビューを飾った。左ウイングバックで先発。前半15分にはピンポイントクロスで先制点をアシストするなど攻撃力を存分に発揮した。新潟でプロデビューし、世界を相手に戦う若武者が来夏の夢舞台に向けて着実に歩を進めている。
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新潟で育った三戸がインドネシア代表戦でA代表デビューし、前半15分に鎌田大地(28=クリスタルパレス)の頭に左クロスを届けて先制点を演出した。「練習から、インスイングのクロスでいい形があった。それが試合に出て良かった」。慣れない左ウイングバックの位置でのプレーに「初めてやったんですけど、アップダウンで体が慣れないところがあった」と振り返りながらも、後半16分に交代するまで攻守両面で積極的なプレーを示した。
「自分が何もしなくてもボールが来るので。ほんとうに楽な…楽なって言い方はあれですけど、あまり動かなくてもボールを受けられるので、あとは自分で仕掛けるだったり…。もっと仕掛けたかったですけど、後ろの選手たちがいい配球をしてくれたのがやりやすかったです」
原点であり、今でも気にかける新潟への練習初参加は、正式加入前の20年10月だった。当時の島田譲(34=クリアソン新宿)に愛のムチ? とも取れる鋭いスライディングを受けながらも軽快な動きを見せ、ミニゲームでシュートも決めた。「早くオレンジのユニホームを着てビッグスワンでプレーしたい」。決意も初々しかった。
プロ1年目の21年はJ2開幕戦で後半途中からいきなりデビュー。第5節ホーム東京V戦でプロ初ゴールを決めた。しかし第10節アウェー愛媛戦では途中出場ながら、わずか13分間で警告2枚をくらい初退場も経験。「自分のせいで負けたらどうしよう」と責任を感じたが2-0で終わり、試合後はDF千葉和彦(39)主導のもとチームメートから胴上げされ、涙した。
プロ2年目の22年は、前年に現役引退したクラブレジェンドの元日本代表FW田中達也氏(42)から背番号14を引き継いだ。「タツさんを超えていくような、新たな新潟の14番像を示したい」。全体練習後は、その田中コーチ主導の「タツさん塾」でも技術アップ。右鎖骨骨折による離脱がありながらもJ2優勝&J1再昇格に貢献した。
初のJ1舞台となった23年は、第13節ホーム横浜戦でJ1初ゴールともなる約23メートルの豪快なミドルシュートを決めた。視察に訪れた日本代表森保一監督(56)は「日本でこういったシュートが見られるようになったんだ。と。突き刺さるようなシュート。試合はニュートラルに見ないといけないが、興奮してしまった」と印象を語っていた。
「三戸ちゃんから三戸さんと呼ばれるように、がんばって来ます」と3年を過ごした新潟に別れを告げ、24年からはオランダのスパルタで活躍。パンチ力のあるシュートと俊敏性に磨きをかけ、同年、U-23日本代表の主軸としてパリ五輪に出場した。今年はついにA代表に上りつめた。プロで活躍する基礎を新潟で作ったアタッカーは、「この代表が最後にならないように。(今日の)アシストが今後の代表につながるものではないので、自チームでレベルアップしていかないといけないと思います」。来夏の夢舞台へ立つために、さらに成長スピードを上げていく。【小林忠】
◆三戸舜介(みと・しゅんすけ)2002年(平14)9月28日生まれ、山口県宇部市出身。原サッカースポーツ少年団(原小)からJFAアカデミー福島に進み、U-15(静岡・富士岡中)、同18(福島・ふたば未来学園高)でプレー。21年に当時J2の新潟に加入し、24年からオランダ1部スパルタ所属。日本代表はU-15から各世代別全カテゴリーで招集。J1通算31試合4得点。J2通算49試合8得点。天皇杯通算5試合1得点。164センチ、60キロ。利き足は右。