
<広島0-4阪神>◇28日◇マツダスタジアム
指揮官として記念の1勝目を挙げた阪神藤川球児監督(44)の姿を、阪神元投手コーチの山口高志氏(74=関大アドバイザリースタッフ)も喜んだ。阪神の投手コーチとして飛躍のきっかけを作った恩師が、愛弟子へのエールと思い出を語った。
◇ ◇ ◇
昨年10月、山口氏の携帯が鳴った。「監督することに決めました」。迷いない言葉の主は、もちろん藤川監督。「早かったな」。そう答えた山口氏の脳裏には、愛弟子がいつも口にしていた言葉が浮かんだ。「僕は、失うものはないんですから」。希代のクローザーとして一時代を築いた、功績はすべて置いていく。挑戦を続ける強さが一言ににじみ出ていた。
歴代の名だたる投手の中で、藤川監督しか持っていないもの。「ドラフト1位で入って、7年間もくすぶっていた経験でしょう」と山口氏は言う。98年ドラフト1位で入団も故障がち。03年から2軍投手コーチを務めた山口氏は、ノックを打つたびに「はよ内野手なれよ」と冗談交じりの声を飛ばしていた。ある事実を知っていたからだ。「オリックスは野手としてドラフト指名しようとしてたんです」。当時オリックスのコーチだった山口氏は、球団スカウトから遊撃手として指名を検討していることを聞いていた。若き右腕は静かに笑うだけだったが、運命の岐路があった。
毎年キャンプ中にケガでリタイア。その度、地道に痛めた箇所を鍛え上げた。「7年目でやっと完成したんです」。右膝を折って沈み込むフォームを目にした山口氏は、右膝を伸ばすように助言。「右膝ちゃうか」。そう耳元でつぶやきつづけた。「僕だけじゃない。僕がスカウトになった後は、同い年のバッテリーコーチの加藤安雄もずっと言ってくれていた」。恩師との出会いも巡り合わせも、これまでの道のりに1つも欠かすことはできない。
「球児はいろんなステージでいろんな人と接してきたから、いろんな見方ができると思う。ずっと応援しますよ。阪神ファンですから」。プロ野球、大リーグ、独立リーグを知る経験は唯一無二。球児だけの歩き方を、これからも見守っていく。【磯綾乃】