
前中日の中島宏之内野手(42)が現役を引退することが26日、分かった。00年ドラフト5位で西武に入団。4年目から遊撃の不動のレギュラーで活躍した。大リーグのアスレチックスを経て、オリックス、巨人、中日と渡り歩き、通算1928安打をマーク。日本代表でもプレーし、08年には北京五輪出場、09年の第2回WBCでは世界一に貢献した希代のバットマンが、静かにバットを置く。また、日刊スポーツを通じ、ファンへ感謝のメッセージを送った。
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2025年のシーズン開幕を迎える前に、中島が現役を引退することを決断した。昨年10月に中日から戦力外通告を受けたが、現役続行を目指し、ジムなどで自主トレを継続。1月もDeNA伊藤、阪神楠本と合同自主トレし、NPB12球団からのオファーを待ったが、この日までに届かず、新たな道に進むことを決めた。
最後まで「ナカジ流」を貫いた。戦力外通告を受けた後、迷うことなく、現役続行の意思を表明した。周囲からはあと72安打に迫る2000安打への思いが決断の理由と思われたが、野球への情熱と飽くなき向上心が最大の理由だった。「野球が好きやし、うまくなりたいし、まだやりたいなと」。その思いは、引退の決断まで不変だった。
プロの世界を腕1本でのし上がった。伊丹北まで中央球界ではほぼ無名の存在。3年目までは2軍を主戦場にバットを振り込み、ノックの嵐を浴び、鍛え上げた。4年目でレギュラーをつかみ、最高出塁率2回、最多安打1回のタイトルを獲得。ベストナインを4回、ゴールデングラブ賞を3回受賞し、五輪、WBCなど国際試合でも活躍した。
独特の感性を持ちながら、実は繊細で、相手との駆け引き、準備を大事にした。西武時代には投手に自身の呼吸を読まれないようにするために、バットを構えた時に左肩で口元を隠す打撃フォームを導入。感覚を研ぎ澄ませるために耳栓をし、打席に立った逸話は関係者の度肝を抜いた。チームが勝つために、打つために変化し続けた。
グラウンドでは時に闘志を表に出し、野球から離れれば笑顔と優しさで周囲を包み込んだ。通算1928安打、209本塁打、995打点。プロ野球史に輝かしい記録と記憶を刻み、仲間から愛された「ナカジ」は、光り輝く“キセキ”を描き、24年間の現役生活に別れを告げる。
▽中島宏之のコメント 2024年シーズンをもちまして、引退することを決断しましたので、ご報告させていただきます。18歳でプロ入りし、監督、コーチ、選手、トレーナー、スタッフの方々に支えていただき、24年間、現役生活を送ることができました。家族はもちろん、携わっていただいた全ての方に感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、ファンのみなさま、24年間、応援してくださり、本当にありがとうございました。いい時も苦しい時もありましたが、ファンの方々の歓声、拍手に何度も背中を押され、力をいただいたことは一生忘れません。明日からプロ野球が開幕します。今シーズンも変わらぬ声援をよろしくお願いします。
◆中島宏之(なかじま・ひろゆき)1982年(昭57)7月31日、兵庫県生まれ。伊丹北から00年ドラフト5位で西武入団。04年にショートの定位置をつかみ、09年最多安打、08、09年最高出塁率。ベストナイン4度、ゴールデングラブ賞3度。11年オフにポスティングで大リーグ移籍を目指し、ヤンキースが入札も交渉決裂。12年は西武に残留し、同年オフにFAでアスレチックスと2年契約。2年間でメジャー出場はなく、15年に国内復帰し、オリックス入団。19年巨人、昨季は中日でプレー。08年北京五輪、09年WBC日本代表。15年までの登録名は本名の「中島裕之」。180センチ、90キロ。右投げ右打ち。