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【センバツ】横浜青陵、野原慎太郎監督を東海大相模00年センバツV時の仲間が応援


横浜清陵の野原慎太郎監督は、東海大相模で00年センバツに優勝した際のチームメートに応援されながら1回戦で敗退。試合には初勝利をつかめなかったが、応援する旧友の姿に監督や仲間たちは感慨深さを感じた。野原監督は当時ムードメーカーで、チームの士気を高め活躍を誓ったが、夏の神奈川県大会ではメンバー外となり、その経験が自身の人生のモチベーションとなっていたと語る。一緒に戦った仲間が甲子園で監督として活躍する姿に、彼らは嬉しさと誇りを感じる気持ちを共有していた。

横浜青陵の応援にかけつけた、野原慎太郎監督の東海大相模時代のチームメートで、00年センバツ優勝メンバーの(左から)広中陽平さん、井上茂樹さん、菊地一也さん、堤康平さん(ご本人提供)

<センバツ高校野球:広島商10-2横浜清陵>◇21日◇1回戦

21世紀枠で選出され出場した横浜清陵(神奈川)だったが、初勝利には届かなかった。

野原慎太郎監督(42)は東海大相模OBで、00年センバツ優勝を経験。スタンドには、優勝メンバーが応援に駆けつけ、熱い声援を送った。

当時の主将、菊地一也さんは「結果は残念ですが、一緒にプレーした仲間が、この甲子園に帰ってすごい応援されてる姿を見るのは本当にうれしい。野原の人柄が出ていますね」と、スカイブルーに染まった大応援団を感慨深く見つめた。

野原監督は、00年センバツは背番号10で甲子園出場も、夏の神奈川県大会はメンバー外だった(ベスト8敗退)。大会前に同級生が集まって壮行会を行った時には「夏、メンバーに入れなかったことが、その後の人生において僕のモチベーションになっている。出ているやつらに負けない、と思ってやってきた」とあいさつしたという。

当時は、チームのムードメーカーで、いつも笑顔でメンバーをリラックスさせてくれたのが野原監督だった。「当時のチームはみんな仲がよかったので、そんな思いだったなんて考えたことがなかった。でも、こうして僕らの代で甲子園に出場する監督が出てくれて、本当にうれしいです」と、よろこんだ。

試合中は、1球1球に声を出し応援。「めちゃくちゃ緊張しました。教え子でもなければ、後輩でもないのにね(笑い)。次は甲子園1勝を期待したいですね」。甲子園をともに戦った旧友の晴れ舞台に心のこもった拍手をおくった。

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