
<関東第一卒業式企画:高校3年間編>
昨夏、甲子園初優勝に挑んだ関東第一(東京)。1つ1つ勝ち進み、決勝では京都国際に延長タイブレークの末、1-2とわずかに頂点に手が届きませんでした。それでも、初の準優勝という新たな歴史を築きました。
3月5日、卒業式を迎えた高橋徹平内野手(現中大1年)、坂井遼投手(現ロッテ)、熊谷俊乃介捕手(現東洋大1年)が、米沢貴光監督(49)とともに、この3年間を振り返りました。苦しくてつらいこともあった日々も、今では笑顔で振り返られる充実した日々。高校野球を通して生まれた、とっておきの絆でした。【取材/保坂淑子】
◇ ◇ ◇
-米沢監督からみて、3人のこの3年間は?
米沢監督 この3人は下級生の時からベンチに入っていた。いい時もあれば怒られている時もある。その繰り返しできたのかな。
坂井 自分にとってこの3年間は一瞬でした。
熊谷 いろいろなことがあったけど、この仲間だったから楽しくできたと思います。
高橋 自分は人間性で成長しました。
米沢監督 ハイ、もうヒドかったんで(笑い)。
選手一同 (笑い)。
米沢監督 高橋は自分の結果をストイックに求めるタイプで周りが見えなくなるケースが多い。それはこれからも課題だよ。実は最初はね、熊谷をキャプテンにしようと思ったんだよ。でも、この代は投手を継投でいこうと思っていたから、キャプテンまで背負わせるのは大変。高橋は1年春の関東からベンチ入りして、勝つためには何が必要か。チームを変えて欲しいと思ってね。
熊谷 知らなかったです。
米沢監督 捕手としての資質、実力はいいものがある。もっと自信を持って欲しかった。
高橋 でもこの2人を筆頭に、メンバーに入れなかった選手たちも。みんなが自分を支えてくれました。
米沢監督 新チームのスタートの練習試合は打てない、エラーもする。チームのことも見ないといけない。多分、大変なストレスや苦労があったと思うよ。高橋が苦しくてグッと堪えたところを、周りが理解して支える。高橋がキャプテンだったから勝てたんだと思うよ。
坂井 自分は人間性という部分で成長しました。だいぶヒドかったので(笑い)。モノに当たったり。自分に当たったり。ずっと怒られながら過ごしていた3年間でした。
米沢監督 しっかりしてきたのは最後の夏かな?
坂井 そうですね(笑い)。
米沢監督 坂井は投手特有の、気ままというか。プラプラしているよな、熊谷?
熊谷 はい(笑い)。
-気まま?
米沢監督 試合中も、ベンチでよく歌っていたもんなぁ? みんな無視してたけど(笑い)。
坂井 はい、歌っていました(笑い)。
米沢監督 抑えで登板してもらっていたから、登板が近づくと口数が減って集中する。
坂井 ずっと緊張感があると逆にダメで。よく考えないって言われているんですが、ちゃんと考えているんです!
米沢監督 バランスだよね。坂井の存在でベンチが和む時もあったし。ほら、坂井が20人いたらダメでしょう。20分の1だからチームとしてのバランスが整っていた。
-監督も許せたんですね。
米沢監督 許すというか、視界に入れなかったです、1人だけ(笑い)。
選手一同 笑い
米沢監督 坂井とは登板直前から会話を始める。坂井の扱い方は熊谷から学びましたね。
熊谷 はい、放っておけば自分でスイッチを入れるので。
米沢監督 寮にいても口笛が聞こえると、ああ~坂井だなって(笑い)。
坂井 自分でも何をやっていたか、覚えていないです(笑い)。
-熊谷選手はどうでしょう?
熊谷 自分は2年夏。先輩がケガをして出場することになった。そこで責任感が変わりました。
米沢監督 1つ上の正捕手が公式戦の接触プレーでけがをして試合に出られなくて。夏の大会でマスクをかぶった。捕手としての楽しさ。責任の重さも感じたのかな。
熊谷 はい、でも2年の1~3月。センバツ前にバッティングも守備も全然ダメで、腐っていた時もありました。
米沢監督 自分の世界に入ってしまうところがあるから、よく叱ったなぁ(笑い)。
-高橋君は?
高橋 去年のセンバツは自分のエラーで負けたので。そこから守備に力を入れて。自分を見つめ直す試合になりました。
米沢監督 厳しく言ったよね。センバツでチームの決まりごとができずに、自分のエラーで初戦敗退。
-センバツ後は大変だったのは?
米沢監督 春の都大会。夏、どう挑戦していくかが、高橋の挑戦ですよね。
高橋 全部キツかったです(笑い)。でも一番印象に残っているのは、春の都大会前の時にやった、サブグラウンドでのノック。自分の送球がうまくいかなくて、ふてくされた態度というか、自分の世界に入りかけていたときに、監督が叱ってくれたんです。その時に言われたことが一番思い出に残っています。
-なんて言われた?
高橋 上(ベンチを外れてスタンドで)で見るか? って。
米沢監督 自信を少しずつつけていくしかない。そこから努力して送球に自信をもって投げられるところまでもってきた。それは回数を重ねて練習したからだよ。(※昨年12月に取材)