新潟明訓高サッカー部の元主将、加藤潤さん(26)がコーチ5年目の今年、同部の9大会ぶり7度目となる全国高校選手権(12月28日開幕)出場に大きく貢献した。チームは県大会5試合で無失点の完全優勝。9大会前の選手権に出場した加藤コーチはこれまで、世代別日本代表として国際舞台に立ち、主将を務めた筑波大では同学年のA代表MF三笘薫(27=ブライトン)と左サイドでコンビを組み活躍した。これまでの経験を後輩たちに還元しながら、勝負に徹する集団に育て上げている。【小林忠】
新潟明訓に教員として戻って5年。加藤コーチは高校時代のコーチだった坂本和也監督(39)とタッグを組み、母校を9大会ぶりの全国選手権出場に導いた。
「僕の使命は坂本監督を支えてチームを全国大会に出場させること。任された仕事を1つ遂行できてうれしいです」
今年はフィジカル強化と、セットプレーを含めた守備面を主に担当。練習では映像を用いたり、自らがロールモデルとなりゴールを守る原理原則を伝えた。チームは県大会全5試合無失点で頂点に立った。
「守備が良ければ心が安定し、いい攻撃につながる。攻撃は選手の調子によってボールが足につかないなどがありますが、そこに左右されないのが守備で(勝利を)計算できる。速く動ける、強く当たれる、高く跳べるっていうところは徹底しました。甘さはありますが、試合の流れに応じたプレーの選択は出来るようになっていると思います」
ボールを扱う技術に優れ、視野の広さが光ったレフティーだった現役時代、U-15、16日本代表に招集され、新潟明訓では全国大会に3度出場(全国総体2度、全国選手権1度)。筑波大4年時は主将として個性豊かなチームをけん引した。
「(経験を)還元できていればいいのですが。僕の役割は坂本監督が言ったことをかみ砕いて選手に伝えたり、プレーをフィードバックしたり。自分の特長や、求められていることをしっかりとピッチで表現できるような声掛けを心がけています」
筑波大では主に左サイドバックでプレー。1列前の日本代表MF三笘を後方から支えた。
「前にすごい速い人(三笘)がいた(笑い)。あいつのプレーは教えられるものではないですね。あっ、行っちゃったなぁ、みたいな(笑い)。ウチにスペシャリティーはいませんが、その分、団結して全員で戦うしかないし、それで勝てる。ウインガーに少しドリブルの生かし方のヒントを与えていますが、そこは(内緒)」
大学時代は両膝のケガで公式戦から遠ざかる時期がありながらもJ1やJFLのクラブからオファーが届いた。しかし全て断り、教員の道に飛び込んだ。
「教員になって1年ぐらいは『プロになっていたら…』と思った時もありましたが、今は未練はないし、違う判断をしていたら(新潟)明訓に帰って来られていない。この道も僕にしか出来ない道なので、後悔はないです」
教育者としての道を歩み始めて5年。言葉掛けや伝え方の難しさを実感し「反省する毎日」と話すも、選手の成長を願う気持ち、信念はブレない。
「全国出場が単発になってはダメ。この先10年、20年と『新潟といったら明訓』といわれるように。堅い守備をベースに全国でも結果を出し、伝統を引き継いでいく。もっと勝負に徹する集団になっていかないといけないと思っています」
選手時代と違う立場で初めて臨む全国選手権。初戦となる12月31日の2回戦は阪南大高(大阪)と対戦する。
「特別なことをするつもりはないです。選手がこれまで積み上げてきたことを発揮できるよう、メンタル、フィジカル、栄養面といったピッチ外の部分でも支えたいと思います」
◆加藤潤(かとう・じゅん)1998年(平10)1月3日生まれ、新潟市出身。サッカーは大潟ナポリ(大潟小1年)で始める。アルビレックス新潟ジュニアユース(大潟中)から新潟明訓に進み、全国高校総体2度、全国選手権に1度出場。筑波大でも1年から主力で活躍。卒業後の20年に保健体育の教員として母校に着任。13年U-15日本代表。14年U-16日本代表。利き足は左で、視野の広さを武器にボランチ、サイドバック、センターバックでプレーした。
○…高3年で出場した9大会前の全国選手権は同学年の中村亮太朗(27=清水エスパルス)と田辺大智(27=日本テレビアナウンサー)、一学年下の関口正大(26=ヴァンフォーレ甲府)らと那覇西を2-0で下して初戦を突破したが、2回戦で優勝した東福岡に1-3で敗れた。「ウチは自分たちの代が最高成績。今回でそこを越えられるよう、いい準備を進めたいと思います」。