アツアツな男が帰ってくる。阪神湯浅京己投手(25)が1軍復活ロードを明かした。20日に契約交渉を行い、1000万円ダウンの年俸3700万円で更改した。今季はコンディションが上がらず、4年ぶりに1軍登板0。8月に国指定の難病「胸椎黄色靱帯(じんたい)骨化症」の手術を受け、懸命にリハビリに励む日々だ。「順調にきていますしスケジュール通りに進められている」と手応え十分。「(春の)キャンプでチームメニューに合流して実戦復帰できれば。開幕1軍を目指して頑張りたい」と明確なプランを明かした。
17日の鳴尾浜残留練習の最終日には、術後4度目のブルペン入り。130キロほどの出力で捕手を立たせて約40球を投じるなど、焦らず急いで経過は順調だ。モチベーションは来季にかける強い覚悟だ。
「シーズン中も(石井)大智さんやザキさん(岩崎)とかに『今ゆっくり休んどけよ』と言ってもらったりしてすごく励みになった。昨年も今年も全然力になれてないんで、来年こそチームの力になれるようにしたい」
同じ手術を受けて復帰した経験があるDeNA三嶋や中日福、ロッテ岩下からもアドバイスをもらった。チームの垣根を越えた戦友たちからのエールが、復活への思いを一層強くさせた。
「いろんな人たちにすごく感謝していますし勇気をもらえました。今度は自分が1軍でやることによって、お世話になった方々に恩返しできると思うので、頑張りたいなと思います」
目標は開幕1軍にとどまらない。プロ初となる1軍でのシーズン完走だ。登板数など数字にはこだわらず、目の前の仕事に集中する。「自分ができる精いっぱいのことを、シーズンを通してやりたいなと思います」。彗星(すいせい)のごとく登場した22年は、アツアツな投球で最優秀中継ぎ賞を獲得するフル回転。昨年オリックスとの日本シリーズで見せた劇的な復活投球をファンも待っている。七転び八起きの野球人生で、今度はしっかり起き上がる番だ。【山崎健太】
◆胸椎黄色靱帯(じんたい)骨化症 厚生労働省指定の難病の1つ。脊髄の背中側の胸椎を縦につないでいる黄色靱帯(じんたい)が、骨化する疾患。脊髄を圧迫するため、徐々に下半身がしびれて、歩行が不自由になるなどの症状が出現する。無症状で偶然発見される場合もある。原因は不明。
<湯浅の浮き沈み野球人生>
◆マネジャー時代↓ 聖光学院(福島)では腰痛のため2年秋までマネジャー。3年夏の甲子園はベンチ外。
◆独立リーグ時代↑ 最短のプロ入りを目指しBC・富山入団。1年で阪神から18年ドラフト6位指名を受ける。
◆右下骨折↓ プロ1年目に腰椎を疲労骨折。翌20年も2軍公式戦に登板できず。
◆デビュー↑ 21年6月のオリックス戦で1軍初登板。
◆ブレーク↑ 22年は開幕からセットアッパーを任され、球宴にファン投票で選出。43ホールドで最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。翌年のWBC日本代表にも選ばれ世界一メンバーに。
◆悪夢↓ 23年はWBCから帰国後、守護神として開幕。順調にプロ初セーブを挙げたが4月に疲労のため再調整。5月に1軍復帰後も調子が上がらず、6月15日を最後に戦線離脱した。
◆劇的復活↑ 欠場濃厚とされたオリックスとの日本シリーズで復帰。第4戦で同点の8回2死一、三塁のピンチをを1球で抑え、シリーズの流れを変えた。
◆難病↓ 本格復帰が期待された24年はキャンプから調子が出ず、1軍登板0。8月に胸椎黄色靭帯(じんたい)骨化切除術を受けた。
<胸椎黄色靱帯(じんたい)骨化症からの復帰>
◆DeNA三嶋 22年8月29日に手術を受け、翌23年2月の練習試合で約6カ月ぶりに実戦復帰。開幕1軍に入り、4月1日の阪神戦で1軍復帰。27試合に登板。
◆中日福 22年10月25日に手術。翌23年4月4日の2軍戦で約5カ月ぶりに実戦復帰し、5月5日巨人戦で1軍復帰を果たして白星も手にした。29試合に登板。
◆ロッテ岩下 23年10月3日に手術。翌24年4月25日ソフトバンク戦で1軍復帰。21試合に登板。