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故郷の沖縄、思い常に=忘れられぬ「ありがとう」―ボクシング元世界王者・具志堅用高さん


 ボクシングの元世界ライトフライ級チャンピオン、具志堅用高さん(66)は沖縄・興南高時代に「復帰の日」を迎えた。高校進学を機に故郷の石垣島を離れ、那覇市へ。銭湯に住み込みで働きながらボクシングに没頭する日々を送っていただけに、その日(1972年5月15日)のはっきりとした記憶はない。「下宿先の銭湯の掃除をしとったんじゃないかな」  ◇「パスポートは要らない」  印象に残っているのは、通貨が米ドルから円に切り替わったこと。そして山形県での全国高校総体出場が決まった際、興南高の監督が口にした「パスポートはもう、要らないよ」という言葉だ。  ボクシングを始めたのは高校生になってから。すぐに頭角を現し、73年5月の「復帰記念沖縄特別国体」で、方言の声援と指笛を背に高校団体戦の優勝に貢献。同年8月の高校総体では個人戦(モスキート級)を制した。卒業後、大学に進学するため上京。ところが、羽田空港にはボクシングジムの関係者が待ち構えており、そのままジムでプロ転向の記者会見に臨むことになった。  とんかつ店で住み込みのアルバイトをしながら練習を積んだ。その頃は沖縄出身というだけでアパートを借りられないことがあるなど、東京では同郷の仲間の苦労を目の当たりにした。「沖縄の人が喜んでくれるんじゃないか。そう思いながら、試合をやっていたね」。具志堅さんの戦いは、遠く離れた故郷、そして沖縄出身者を勇気づけた。  「ボクシングは自分のため、沖縄のため、家族のためだった」。プロになって3年目の76年10月10日。世界タイトル初挑戦で、フアン・ホセ・グスマン(ドミニカ共和国)を破って王座に就いた。「人生であんな一日はない。沖縄が騒ぎになっているというのは後で聞いた。うれしかったね」  ◇仲間が喜んでくれた  当時から東京には多くの沖縄出身者がいた。「パスポートを持って出稼ぎに行った先輩たちには、今も沖縄に戻らないで本土で頑張っている人も多い」。そうした同郷の仲間が喜んでくれたことが、うれしかった。「僕の顔を見て、『おめでとう』じゃないもんな。『ありがとう』って言ってくれたもんな。沖縄は同じ名字の人が多いから、名前で呼ぶんだ。『用高ありがとう』って」  沖縄に凱旋(がいせん)した時の、紙吹雪が舞う盛大なパレードも忘れられない。県知事らからは「よく頑張った。沖縄県民のために、君は頑張った」とたたえられた。  具志堅さんの世界王座13連続防衛は、今も日本選手の最長記録として残っている。81年3月、沖縄での防衛戦に敗れ、引退を決意。「沖縄で頑張って世界チャンピオンになれたんだから、最後は沖縄で頑張って終わった。それでいいかな」。プロとして最初で最後となった故郷での試合を終え、グローブをつるした。 (了) 【時事通信社】 〔写真説明〕取材に応じるボクシングの具志堅用高さん 〔写真説明〕笑顔で取材に応じる具志堅用高さん
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