創業の経緯と現在の事業内容について
——まずは、事業の変遷についてお伺いします。創業から現在に至るまでの経緯やアメリカで起業された背景についてお伺いできればと思います。
ビバリーグレンラボラトリーズ株式会社 代表取締役CEO・児玉 朗氏(以下、社名・氏名略) :私が27歳のとき、ニューヨークにキャノンの駐在員として赴任したことがアメリカ生活の始まりでした。その後ロサンゼルスに転勤しましたが、キャノンの駐在期間は通常5年間で、残りは2年程度しかありませんでした。ただ、私はもともとアメリカで生活したいと思っていて、一時的な駐在員として来たわけではありませんでした。その時に、アメリカで暮らし続けるためには何をすべきか考え、起業するという選択を取りました。それが1993年のことで、今年でちょうど創業30年を迎えました。
——最初のビジネスはどんなものだったんですか?
児玉 :最初はApple製品を日本に輸出することから始めました。当時は日米間で価格差が大きかったので、それを利用して利益を出せると考えたためです。しかし、すぐに価格差が縮まってしまって、このビジネスは拡張性に乏しいと思うようになりました。そのとき、プリンターのカートリッジやトナーなどに日米価格差があることを発見し、これを事業の柱にしました。最初の1年間は、キャノンの駐在員を続けながら、夜間に自分のビジネスを進めていました。幸運にも初年度で1億円の売上を達成できました。
——素晴らしいですね。その後、どうやって事業を拡大していったのでしょうか?
児玉 :常にリピートのオーダーがあるような消耗品を販売して日本に輸出するビジネスから、アメリカのローカル消費者に販売するようなBtoCのビジネスをはじめました。そんな中、90年代後半にはインターネットが普及し始め、私もその波に乗ろうとしました。しかし、楽天やソフトバンクのようには成功できず、インターネット事業に多くの資金を投じましたが、結果的には失敗してしまいました。
そこで次に注目したのが、バイオビジネスです。アメリカではバイオが盛んで、自然の力を使った環境改善技術に可能性を感じました。ですが、当時はまだエコロジーに対しての世間の認識が浅く、エコに対してお金を使う時代ではなかったために、大きなビジネスには結びつきませんでした。
——ビジネスの軸を何度か変更されてきたのですね。その中で今の化粧品事業はどのように始まったのですか?
児玉 :化粧品事業に取り組むきっかけは、パートナー研究者のブライアン・ケラーが持っていた「ドラッグデリバリーテクノロジー」です。この薬を患部に直接届ける技術を、まずは化粧品に応用しようという話になりました。化粧品なら規制が緩やかで、臨床試験に多額の費用も必要ありませんでした。これが化粧品事業のスタートです。そして、2005年頃には、インターネットとSNSの力を借りて、BtoCビジネスとして急成長しました。
——SNSの力をどのように活用したのですか?
児玉 : 当時は「ミクシィ」を活用していました。美肌に関するコミュニティを作り、そこで直接お客様と対話することで信頼を築きました。それがきっかけで、消費者との直接販売が急速に拡大しました。また、アフィリエイト広告を使ったのも成功の一因でした。これにより、短期間で売上が大きく伸び、年商7~8億円規模まで成長しました。
——その後、日本市場への進出も行われたのですか?
児玉 :そうです。アメリカでのビジネスが大きくなり、物量が増えて対応が難しくなったため、日本に進出し、日本法人を設立しました。それが現在のビジネス基盤を築くきっかけとなりました。
自社事業の強みについて
——御社の事業の強みについて教えていただけますか?パートナーの技術が強みであることは伺いましたが、他にも何か特徴的な点があればお聞かせください。
児玉 :おっしゃる通り、技術は絶対的な強みです。私たちが持っているテクノロジーは、製品の効果を裏付けるものです。ただ、それ以上に重要なのは、アメリカでビジネスを展開してきたという点です。今の時代でも、ビジネスは多くの場合アメリカからスタートし、そこから世界に広がります。バイオ領域でも最新の技術はアメリカ発のものが多いです。
また、ビジネスにおいては「時差」の概念が重要で、優れた技術やアイデアがまだ市場に出回っていない段階で価値を発揮できることがあります。これまでもアメリカで発案された技術を、日本やアジアに持ち込むことで、少しの時差を活かしてビジネスを展開してきました。
——確かに、アメリカ発の技術が多いですが、今はアジア発のものも増えてきていますよね。
児玉 :そうですね。時代は確実に変わってきており、アメリカだけが中心というわけではなくなっています。今では、私たちは日本以外にも台湾、中国、香港に100%子会社を持ち、現地の社員が新しい情報をいち早くキャッチできる体制を整えています。このネットワークが、私たちの強みの一つです。
——グローバル展開も大きな強みですね。他に、御社の独自性として挙げられる点はありますか?
児玉 :アメリカの社員が非常に個性豊かだという点も大きな特徴です。アメリカでは、日本のように定期的に昇進や異動があるわけではなく、様々なバックグラウンドを持つ人が集まっています。多くの社員が夢を追い求めてアメリカに渡り、その過程で私たちの会社に来ているからです。これも非常にユニークな環境を生み出しており、他にはない強みだと思っています。
——日本とアメリカでは働き方やモチベーションに大きな違いがあるように感じますね。アメリカの社員の独特な感性は、どのように組織に活かされていますか?
児玉 :私たちが最も大切にしているのは、個人個人の価値観を尊重することです。年齢や役職に関係なく、それぞれが自分の人生を生き、会社に集まったという点を大切にしています。会社はその集合体であり、みんなが助け合い、認め合うことで良いチームを作っていけると思っています。役職や正社員、パートなどの区別はあくまで雇用上の問題であって、実際の仕事においては重要ではありません。転職しても「また戻ってきてね」と気軽に送り出せるような、そんな柔軟な関係を築いています。
ぶつかった壁やその乗り越え方
——様々な事業でご苦労されたと伺いましたが、その時どのような発想や考え方で困難を乗り越えたのか教えていただけますか?
児玉 :これまで、大きく2つの壁がありました。1つ目は、事業が成長せず、利益を生み出せなかったことです。これは辛いもので、経営者として決断が求められます。やれることを全てやっても成果が出なければ、事業を閉じるという決断をしなければなりません。私も、韓国やシンガポール、パリへの進出を試みましたが、最終的には撤退しました。その際、一緒に働いた仲間を手放さなければならなかったことが非常に悔やまれます。
もう1つの壁は、利益が出ていても成長を感じられないという壁です。売上や利益が上がっていても、会社としての価値が向上しているのか、社員が本当に幸せを感じているのかと考えると、疑問に感じることがあります。社員数が増えると、全員と直接関わることが難しくなり、これが成長のジレンマとも言えるでしょう。利益だけでなく、価値をどう作るかが課題となります。
——そのようなジレンマをどう乗り越えていったのでしょうか?
児玉 :私が選んだ乗り越え方は、新しい事業や挑戦を続けることです。常にベンチャースピリットを持ち続け、みんなでゼロから新しいものを作り上げるエネルギーを大切にしています。確かに新しい挑戦はリスクが伴いますが、それこそが私たちの会社の魅力だと思っています。
今後の経営・事業の展望
——今後の経営や事業の展望についてお聞かせください。
児玉 :私たちは、化粧品事業を中心に展開してきましたが、再生医療との結びつきにより、「QuSome」というテクノロジーの価値をさらに高めたいと考えています。現在の化粧品市場では、肌に成分が浸透しないことが問題視されていますが、私たちの持つQuSomeは、その壁を越える可能性を持っています。これを活用して、本当に効果のある製品を作りたいと思っています。
——QuSomeの技術を活かして、他の分野でも展開を考えていらっしゃるのですか?
児玉 :そうです。QuSomeの技術は、他のブランドとのコラボレーションや医療分野への応用も可能です。例えば育毛やオーラルケアなど、総合的なライフケアの提供も視野に入れています。私たちは、この技術をより多くの人々に届けたいと考えています。
ZUU onlineユーザーへ一言
——ZUU onlineの読者に向けて、何か一言メッセージをお願いします。
児玉 :私たちは、「ハッピーなモーメントを届ける」ことを大切にしています。製品の技術や効果を超えて、社会に貢献し、より大きな価値につながるようなことを目指しています。次世代の人々が夢を持てる世界を作るために、私たちが果たすべき役割は大きいと感じています。今後も、その使命を持って邁進していきたいと思います。
——本日は素敵なお話をありがとうございました。
- 氏名
- 児玉 朗
- 社名
- ビバリーグレンラボラトリーズ株式会社
- 役職
- 代表取締役CEO