
天皇、皇后両陛下は7日、戦後80年に合わせた慰霊のため、最初の訪問地となる硫黄島(東京都小笠原村)を訪ねられた。戦況が悪化する中、島は本土防衛の最前線として「玉砕の島」となった。両陛下は島内にある慰霊の地を巡り、深く頭を下げて平和を願った。
両陛下は島内での2カ所目の訪問先として「硫黄島島民平和祈念墓地公園」に足を運んだ。持参したテッポウユリやトルコギキョウ、デンファレの白い花束を供えて拝礼した。公園は島を離れて暮らす旧島民らの墓参などの場として、村が戦前に島民墓地のあった場所に整備した。軍属として戦死した島民の慰霊碑もある。旧島民の家族らは「戦争で島を離れた島民や、島に残って亡くなられた方々は喜んでいると思う」と静かに見守った。
硫黄島では1945年2~3月に旧日本軍と米軍との激しい戦闘があった。前年の44年7月には旧日本軍の命令で島民約1000人が強制疎開させられた。ただ約100人は軍属として残され82人が戦死した。
楠明博さん(65)の祖父もその一人だった。両陛下は公園内にある82人の名前が彫られた「硫黄島旧島民戦没者の碑」の前で説明を受けたという。
島は戦後に米国統治下に置かれ68年に日本に返還されたが、政府は火山活動などを理由に帰島を認めていない。本土に強制疎開した楠さんの母親(84)が「死ぬ時はお父さん(祖父)の近くで」と話していたこともあり、楠さんは少しでも硫黄島に近づければと、2009年に母親と埼玉県から小笠原諸島の父島に転居した。遺骨収容団に参加しているほか、小笠原村在住硫黄島旧島民の会事務局長として公園の清掃や管理を担ってきた。
硫黄島を離れる前に両陛下と懇談した楠さんは、皇后雅子さまから「お母さまはお元気ですか。硫黄島ではどのような暮らしをされていたのですか」と尋ねられた。楠さんは懇談後の取材で「両陛下とも本当に親しく話をしていただき、私たちも心を落ち着けてゆっくりと説明ができた」と喜んだ。
全国硫黄島島民3世の会を設立し、戦前の硫黄島の記憶や記録の継承に取り組む東京都の会社員、西村怜馬さん(43)は、両陛下に島出身の祖母から聞いた島の暮らしなどを説明した。西村さんは取材に「両陛下と話せたことで、今後の活動の原動力になる」と話した。【高島博之】