
太平洋戦争末期に日米両軍の激戦地となった硫黄島(東京都小笠原村)。東京都心から南に約1250キロ離れた洋上に位置する、東西8キロ、南北4キロの火山島だ。戦時中に強制疎開させられた島民は今も戻れていない。「絶海の孤島」には自衛隊基地と米軍専用施設が設けられ、さまざまな制約から本土では実施困難な訓練をする場となっている。
戦後80年の節目となる今年、3月29日の日米合同慰霊式に、現職の首相として初めて石破茂首相が出席。ヘグセス米国防長官らも参列した。4月7日には、天皇、皇后両陛下が硫黄島を訪問し、戦争の犠牲者を慰霊される。
私(記者)は2024年6月、海上自衛隊の訓練に同行するため輸送機で硫黄島に降り立ち、掃海艇「とよしま」に乗り込んだ。海上から見たのは、島の要衝とされた摺鉢山(すりばちやま)。米軍の艦砲射撃で形が変わったといわれる。山肌はむき出しの岩で茶色く、周囲に広がる青々とした海や空と対照的だった。日没後、月明かりに島影だけがぼんやりと浮かんだ。闇の深さが海に閉ざされた島の成り立ち、島民がいない歳月の重みを物語っているようだった。
硫黄島沖では、海自が「お家芸」と称される掃海技術を磨く。掃海とは、船の航行を妨げるため海中や海底に仕掛けられた機雷の処分。機雷は船が近づくと反応して爆発し、艦艇を沈める破壊力を持つ。掃海艇から機雷に向け、スクリュー音などの通過音や磁場を発して「標的が来た」と誤認させ、爆発を誘引する。爆発時には大きな音とともに水柱が上がる。
機雷処分訓練は伊勢湾などで毎年行われているものの、実際に爆発させるのは硫黄島沖に限られる。各部隊にとって、数年ごとに回って来る硫黄島沖での訓練は貴重な機会とされる。
一方、米海軍は硫黄島で、空母艦載機による訓練を実施している。地上の滑走路を空母の甲板に見立て、着陸直後に離陸する「タッチ・アンド・ゴー」だ。1980年代以降、夜間訓練が神奈川県の厚木基地で実施され、爆音に周辺住民が反発。日米両政府は暫定措置として、91年から訓練場所を硫黄島に移した。24年度は10日間で約2270回行われたという。
硫黄島は太平洋戦争末期の1945年2~3月、日本兵約2万2000人、米兵約7000人が犠牲になり、日本人戦没者の遺骨1万体以上が収容されていないとされる。【松浦吉剛】
