リオデジャネイロ五輪・柔道100kg級代表の羽賀龍之介は、つい2年前まで外国勢のパワーに圧倒されて不調にあえいでいました。羽賀選手に中学生のころから目をかけていた井上康生選手の目にも、その姿は精彩を欠いていたのです。そして2014年、井上選手は思い切った決断を下しました。
羽賀龍之介は日本代表には早い
その年の頂点を決める世界選手権への代表の派遣を、100㎏級だけ見送ったのです。「世界で勝つ選手をというところを考えた上では、厳しい現状である」と当時のインタビューで答えています。つまり、代表にふさわしい選手がいないというのが理由です。
鈴木佳治・日本代表コーチも「世界選手権に日本代表として出す力はない。出すことは簡単。羽賀龍之介を代表にしますといえば、出られるもの。日本代表の羽賀と名乗れるが、自分はそれを許したくなかった」と話します。
「その強さで、その実力で日本代表を名乗るのは早い。これは柔道界のため、100㎏級のためというふうにしっかり気持ちは持っていた」といいます。
羽賀龍之介が日記に記した苦しさ
当時、羽賀龍之介選手は代表に選ばれなかった苦しさを日記に記していました。「結果は身の丈だ」「結果そのものが今の実力」。パワーの柔道に内股で勝つ…代表に選ばれなかったことで、再び羽賀選手の闘争心に火が付いたのです。
2015年、遠征先のヨーロッパで羽賀選手の柔道が大きく変わりました。羽賀選手も「ヨーロッパの大会くらいから勝ちを重ねるごとに、ここで行ってやろうというときに躊躇しなくて行けるようになった」と話します。
それは相手の重心を正確に捉えて高く跳ね上げる内股です。その復活は、パワーが売りの成果ランキング1位・ガシモフとの一戦で証明されました。2015年、羽賀選手は国際大会で27試合を戦って25勝。そのうち6割は内股で勝利を掴んでいます。