越境入学に長髪球児に……と、今年の夏もここcitrusでいくつか寄稿してきた高校野球ネタを、もう一度だけ書かせてもらいたい。
タイミング的には、さすがにちょっと“今さら感”が否めないテーマを何故あえて……と問われれば、朝日新聞が配信していた『甲子園の「判官びいき」、度が過ぎてはいないか 日本文理の元エースは「逆の立場なら嫌」』なるタイトルの記事をネット上で発見してしまったからである。とりあえずは、その(ほぼ)全文を以下に記しておこう。
準々決勝でサヨナラ負けを喫した近江(滋賀)の多賀監督のコメントに接して、胸が熱くなった。「相手を応援する球場の雰囲気にものみ込まれた」。劣勢のチームを観衆が後押しする「判官びいき」は、甲子園の常だ。しかし近年、少々度が過ぎてはいないか。
少しでも長く試合を楽しみたい、選手に長く試合をしてほしい、との思いからの声援とは推察できる。(中略)ただ、一方にくみすると、巨大なプレッシャーがもう一方にのしかかることを、忘れてほしくない。
91回大会決勝で猛追を見せた日本文理(新潟)のエース・伊藤直輝は応援が力になったと当時を述懐しつつ、続けた。「逆の立場なら、嫌ですね」。負けていても勝っていても、選手は一瞬に全力を尽くしている。相手を思いやるスポーツマンシップを、球場全体で共有したい。
たしかに、甲子園に来場した観客や、全マスコミをあげての露骨な判官びいきの風潮は昨今、深刻な問題として一部の専門家や野球好きのあいだでもチラホラと議論されている。もっとも卑近な例としては、今大会の決勝戦「大阪桐蔭×金足農業」が挙げられる。
「全国から逸材を集めた大都会にある私立の野球エリート軍団vs地元・秋田の選手だけで結成されている公立の農業高校の雑草軍団」といった、じつにわかりやすい「ヒールvsベビーフェイス」の“対立の構図”は、さぞかし日本人にとっては美味しいコンテンツだったに違いない。現に、翌日の報道は「12対3」と圧倒的な力の差で優勝を果たした大阪桐蔭について触れるスペース(尺)はおざなり程度で、どのメディアでも“主役”はあきらかに敗者の金足農業だった。もしかすると、大阪桐蔭の決勝前日のミーティングでは、面構えからしていかにも試合巧者的な雰囲気がただよう西谷監督あたりから「明日の観客はほとんどが金足農業寄りだから、10点差はつけておかないと、甲子園独特の判官びいきな空気にのまれてしまうぞ」みたいなアドバイスがあったのかもしれない。「3点のアドバンテージくらいじゃあ負けているのと同じだぞ」……と。そして、そこらへんの“流れ”を熟知しての前半から中盤における一気呵成に畳みかけるようなバッティングは、大阪桐蔭の底力が遺憾なく発揮された見事な攻撃であった。
さて。こういった甲子園の「強いチームがアウエー化してしまう」傾向については、先ほどにも述べたとおり、すでに「一部の専門家や野球好きのあいだでもチラホラと議論されている」ため、私も冒頭に紹介した記事が、仮に週刊文春や新潮や読売新聞や産経新聞の記者によって書かれたものなら、“今さら”わざわざと取り上げたりはしない。でも、コレ……高校野球を主催している朝日新聞の記者が書くってえのは、どうなんですかね……? 高校生がやっている一スポーツを見世物にして、有象無象なヒトたちを一同に甲子園へと集め、こうまでのビッグイベント、れっきとした“興業”に仕立て上げているのは、『熱闘甲子園』とかで「雑草軍団」などと判官びいきを先陣切って煽りまくっているアンタらやん! 張本人側がソレを戒めるということは、見方を変えれば「皆さんの良識に任せます」と、とどのつまりが観客にすべてを丸投げしているだけなのではないのか? お金払って観に来ている客に「マナーが悪い」のひと言だけでアレコレと節度を求めるはあまりに無責任過ぎるだろ。
万一、本気で「判官びいき問題」を抜本的に解決したいなら、いっそのこと、学校側の応援団以外は甲子園からシャットアウトすればいい。“野次馬”から得られる膨大な収入を切り捨てるまでの覚悟がないならば、余計なことは一切言わずに、“沈黙は金なり”を貫きとおすべきだと私は思うのだが……いかがだろう?