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いしだあゆみさん「ブルー・ライト・ヨコハマ」ヒット要因に漢字の横浜ではなくカタカナが斬新に


歌手で女優のいしだあゆみさんが2023年3月11日に甲状腺機能低下症で亡くなりました。彼女の代表曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」は、いしださんの代名詞となり、1969年に大ヒットしました。この曲は橋本淳が作詞し、筒美京平が作曲したもので、横浜を舞台にしたその斬新な表現が特徴です。この作品は1968年に発表され、日本のレコード大賞で作曲賞を受賞しました。「ブルー・ライト・ヨコハマ」はサザンオールスターズや柴咲コウなど様々なアーティストによってカバーされ、横浜のイメージを一層強調することとなりました。

いしだあゆみさん(1997年1月撮影)

<ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム>

歌手で女優のいしだあゆみさんが3月11日に、甲状腺機能低下症で亡くなった。76歳だった。

歌手として多くのヒット曲を歌った。ミリオンヒットの「ブルー・ライト・ヨコハマ」。義弟(妹の夫)のなかにし礼さんが作詞した「あなたならどうする」。前2作に続き3回目のNHK紅白歌合戦で歌った「砂漠のような東京で」。

中でも「ブルー・ライト・ヨコハマ」(作詞・橋本淳、作曲・筒美京平)は、いしださんの代名詞になった。発売は1968年(昭43)12月25日で、いしださんは二十歳だった。年が明けた69年に大ヒットした。

由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」も69年の大ヒット曲で、この2曲がラジオやテレビで流れない日はほとんどなかった。ともに都会的な大人の世界で、その独特の歌声に老若男女が引き込まれた。

オリコンの69年の年間ランキングによると、<1>「夜明けのスキャット」<2>「港町ブルース」(森進一)<3>「ブルー・ライト・ヨコハマ」<4>「恋の季節」(ピンキーとキラーズ)<5>「黒ネコのタンゴ」(皆川おさむ)がベスト5だった。

「ブルー・ライト・ヨコハマ」は、いしださんの26作目のシングルで、初の大ヒット曲だった。横浜を歌の舞台にしようと決めた作詞家の橋本淳氏がある夜、海の見える丘公園から川崎の工場地帯の方向を見た。当時の横浜はまだ暗く、工場の明かりが海に青く揺れていた。

異国情緒あふれる町だけに、漢字の「横浜」ではなく「ヨコハマ」にしたことが当時としては斬新で、ヒットの一要因になった。

作曲の筒美京平氏は同曲で第11回日本レコード大賞作曲賞を受賞。以後、ヒット曲を連発していく。

同じ68年の1月5日に発売されたのが、同じく横浜が舞台の「伊勢佐木町ブルース」。ハスキーな青江三奈さんが歌って、こちらも大ヒットした。高度成経済成長期に、横浜という町が今まで以上にクローズアップされた。

横浜を舞台とした曲は数多い。童謡「赤い靴」では、赤い靴を履いていた女の子が、横浜の波止場から異人さんに連れていかれた、と歌った。1922年(大11)の曲である。

以後、「別れのブルース」(37年、淡谷のり子)「悲しき口笛」(49年、美空ひばり)「よこはま・たそがれ」(71年、五木ひろし)「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」(75年、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド)「恋人も濡れる街角」(82年、中村雅俊)「ふりむけばヨコハマ」(89年、マルシア)「LOVE AFFAIR~秘密のデート」(サザンオールスターズ)など数々のヒット曲が横浜を歌った。

横浜は港町で、海の青(ブルー)がもともとイメージカラー。「ブルー・ライト・ヨコハマ」が、そのイメージをさらに強くしたのは間違いないだろう。

同曲はサザンオールスターズ、柴咲コウ、徳永英明、大月みやこ、八代亜紀さんら、ジャンルを越えた数多くのアーティストたちがカバーしている。これからも、絶えることなく歌い継がれていくだろう

【笹森文彦】

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