今回は『日本科学未来館科学コミュニケーションブログ』より科学コミュニケーター 櫛田 康晴さんの記事からご寄稿いただきました。
20種類もの部品の在庫管理 細胞はどうやっている?(日本科学未来館科学コミュニケーションブログ)
まずは下の写真を見てください。
あらまあ。いろんな形の物がゴチャゴチャと入っていますね。
実は、この容器の中身はどれも大切な部品で、いろんな人が自分の必要とする物をどんどん持ち出していきます。一方で足りなくならないように追加もされています。
さて、あなたは、これらの部品のどれ1つとして在庫がゼロにならないように見張っている仕事を任されています。
あなたならどうやって見張りますか?
うーん。これは悩ましいですね。
部品を種類ごとに分けて整理し、在庫が一目でわかるようにしたらどうでしょう?
例えばこんな風に。
おぉ、これで在庫が一目瞭然です!
でも、もし、こういう風にきちんと整頓できない事情があって、ゴチャゴチャした状態のまま、管理しないといけないとしたら?
実は、私たちの体の細胞の中でこんな大変な仕事をしているのが、私が以前にブログ*1 で紹介したTOR(トア)というタンパク質です。
*1:「2018年ノーベル生理学・医学賞を予想する(1)アミノ酸、足りてますか?あなたの体の栄養分の見張り番」2018年09月10日『日本科学未来館科学コミュニケーションブログ』
https://blog.miraikan.jst.go.jp/topics/201809102018-4.html
TORは細胞内の20種類の栄養物質のどれか1種類でも足りなくなると「栄養が足りないよ!」という警告を出します。細胞の中にはいろんなものがぎゅっと詰め込まれているので、20種類も同時に管理するなんて一見不可能にも思えます。
いったいどうやっているのでしょう?
今回はそれをお伝えします!
私たちの体は20種類のアミノ酸でできている
私たちの体の細胞に必要な「栄養」とは20種類のアミノ酸のことです。
細胞は、これらのアミノ酸を材料にその時その時に必要なタンパク質を常時つくりだしています。この時TORは、材料となるアミノ酸の在庫が十分にあることを察知して、「よし、タンパク質を作ろう!」というゴーサインを出します。
もしアミノ酸が不足すると、タンパク質が作れなくなり、その細胞は死んでしまうでしょう。いつまでたってもアミノ酸不足の状況が良くならなければ、細胞の死が積み重なって、病気にもつながりかねません。これは重大ですね!
では、TORはどうやって在庫が足りないって分かるんでしょうか?
さっそくこの謎を紐解いていきましょう!
細胞の中をただようアミノ酸をつかまえろ!
部品を種類ごとに分類した冒頭の写真ように、細胞の敷地の中に区画を作ってそれぞれを整理できたら楽チンですよね。
実際に細胞の中には薄い膜で区切られた空間がたくさんあります。これは「細胞内小器官」と呼ばれていて、リソソームとかゴルジ体とかミトコンドリアなど様々なものがあります。でも、今のところこれらの空間のいずれも1種類のアミノ酸だけで満たされているものは発見されていません。
どうやら細胞がしているのは、アミノ酸を種類ごとに分類する作戦じゃないみたいです。
ということは、やはり細胞内のごちゃごちゃとした環境の中で、アミノ酸だけを見つけなければいけません。
困りましたねぇ。こんな時、アミノ酸探しのエキスパートが助けてくれたらいいのに。
はい!そこで登場するのがこちら。アミノ酸専用の「パトロール隊」です。
そうなんです。実はいるんです!アミノ酸探しの専門家が。
細胞内を漂っているアミノ酸をつかまえてくれるだけでも驚きですが、なんと、「ここにアミノ酸ありましたよ!」ってTORに伝える役割もあるんです。これは便利!
重要なのは、これまで発見されている数名のパトロール隊員は、ある決まったアミノ酸だけにピッタリとフィットする形になっていて、それぞれ1種類のアミノ酸しか探すことができないということです。世界のTOR研究者は、まだ発見されていない残りのパトロール隊員を探しているところです。
TOR長官!事件は現場で起きています!
もっと他に効率の良い仕組みがあるのではないか?そう考えたのが基礎生物学研究所の鎌田芳彰博士(以下、鎌田さん)です。
鎌田さんは、発想を逆転させました。つまり、在庫が「ある」ことを調べなくても、在庫が「ない」ことさえ分かればいいのではないかと。
今回お話をお伺いした鎌田博士。笑顔が素敵です。
ここで「tRNA」という新しい人物に登場してもらいましょう。
tRNAは細胞内のアミノ酸の運び役。TORが命令を出して、アミノ酸からタンパク質が作られるときに、タンパク質の生産工場までアミノ酸を届けるのが仕事です。
さらに届けるだけではなくて、実際に工場の中でそのままタンパク質の生産までしています。働き者ですね!
ちなみにtRNAは、アミノ酸なら何でもかんでも運ぶのではなく、それぞれが役割分担をして、自分が担当するアミノ酸が決まっています。推しメンならぬ、推しアミノ酸があるのです。このポイントは後で重要なので覚えておいて下さい。
さて、最近の研究で、鎌田さんは、この多忙を極めるtRNAのもう一つの隠された仕事を発見しました。
なんとtRNAは、TORの働きを「ストップ」させるのです!
えっ?どういうこと?
つまり、TORの命令を受けてタンパク質工場までアミノ酸を運んだり、さらにその工場で働いたりしているtRNAが、逆に命令を出しているTORに「ストップ」と声を掛けているということです。
鎌田さんはこの研究結果に驚きました。何のためにこんな仕組みがあるのでしょうか?
では、皆さんに鎌田さんのアイディア(科学の世界では「仮説」と言います)をご紹介しましょう。
普段、tRNAはいつもタンパク質を作るためにめちゃめちゃ忙しく働いています。上司であるTORとおしゃべりしている暇もありません。
ところが、アミノ酸がなくなってしまったらどうでしょう?
自分の「推しアミノ酸」がなくなってしまったtRNAは、途端に仕事を失います。ハッキリ言って暇です。
その暇を持て余したtRNAは、お家に帰って寝るのではなく、TORのところまでいって、「仕事がないのでアミノ酸を作って下さい!」ってお願いしに行く、というのです。
この仮説のユニークなところは、もはやTORは、20種類のアミノ酸のひとつひとつを区別して在庫管理をすることに頭を悩ます必要がないというところです。アミノ酸がたくさんあれば万事問題なし。20種類のうちのどれでも1種類が足りなくなったら、現場で働いているtRNAがそれをTORに教えてくれるのです。
どうですか?少し謎が解けた気がしませんか?
ちなみに鎌田さんは、tRNAがTORの働きを抑えるという現象を酵母というモデル生物を使って発見しました。鎌田さんはヒトやマウスなどの哺乳類でも同じ仕組みが働いていると予想しています。
こうしてTORが栄養不足を検知すると、細胞の中のタンパク質などを分解する仕組み(オートファジー)が活発になります。
タンパク質をバラバラにしてアミノ酸に分解し、新しいタンパク質を作る材料としてリサイクルできるようにするのです。
この生命現象の根幹にかかわる重要な仕組みのスイッチを入れるのも実はTORなのです。
このようにTORが栄養不足を検知してオートファジーのスイッチを入れる現象は、1998年にすでに発見されています。
良かった。これでもうアミノ酸が足りなくなっても安心ですね。
出会いは失敗から生まれた
さて、ここまでお伝えしてきて、疑問に思った方もいることでしょう。
なぜこの科学コミュニケーターは、鎌田さんに出会ったのだろうと。
はい。えっと、実は恥ずかしながら、これは私のある失敗談から始まっています。
昨年、冒頭でも紹介したTORの記事を私が書いたときに、私は最初、TORを「トール」と書いていました。もともと私は生物系の研究職をしていましたが、昔は確かにそう呼ばれていたそうです。ところが、しばらく前からTORは「トア」と読むということに決まったらしく、それを知らずに呑気にブログをアップした私に、鎌田さんが連絡を下さって、「TORはトアと読みます」と教えて下さったのです。その後、鎌田さんが日本分子生物学会年会という学会に参加するために横浜にいらした折に、直接お会いして、今回紹介した最新の研究のお話を伺いました。
鎌田さんの研究のお話を伺って、細胞の中で起こっているドラマを感じて、これは読者の皆さんにも届けたい!という思いからブログにしました。お楽しみいただけたでしょうか?
読者の皆さんに、少しでも生き物の不思議に興味を持っていただけたら嬉しいです。
さあ、私もtRNAに負けずに、仕事、頑張るぞ!
執筆: この記事は「日本科学未来館科学コミュニケーションブログ』より科学コミュニケーター 櫛田 康晴さんの記事からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2019年4月4日時点のものです。
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