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ハンナ・アーレントのルサンチマン論(舛添要一オフィシャルブログ)



今回は舛添要一さんのブログ『舛添要一オフィシャルブログ』からご寄稿いただきました。


ハンナ・アーレントのルサンチマン論(舛添要一オフィシャルブログ)


学歴、知的能力、語学力、容姿、運動能力、社会や組織の中でのランキングなど、人間の間には優劣がある。劣位の者が優位の者に対して、嫉妬し、恨み、不満を抱くのは人間社会の常である。たとえば、学業成績は悪くても、スポーツに秀でていれば、自分の中で、優者に対する感情を制御できる。「A君には、数学の成績では負けていても、柔道では勝つ」ということであれば、A君に劣等感を抱くことはない。


 しかし、組織の中で「エリート部局」と「うだつの上がらない部局」とでは、後者に属する者のルサンチマンは蓄積していく。「△△局なんですか、○○局ではないのですね」と社会で侮蔑される。そこで、この屈辱を晴らすことが人生の大きな目的となってしまう。


 この種の感情の持ち主にとっては、優位の者が何らかの事情で失点を重ねたり、行動の自由を阻害されたりしたときこそ、まさにチャンス到来であり、劣位の者は、日頃の恨み辛みを原動力に、一気に優位の者を叩きにかかる。ルサンチマンの爆発である。


 ハンナ・アレントは、その著、『全体主義の起源』の中で、ナチスの野獣のような突撃隊(SA)隊員やSS(親衛隊)隊員が、強制収容所送りとなったユダヤ人に対して行ったサディスティックな拷問について述べ、それがルサンチマンの発現であると指摘している


 「その特徴は、いかなる合理的目的も持たず、システマティックに組織もされておらず、そのかわり個人の、しかも大抵はアブノーマルな分子の意志に全面的な依っていたということ、・・・(中略)・・・あのSA隊員の盲目的な野獣性のかげにはしばしば、すべての社会的・知的・もしくは肉体的に恵まれた人々への怨み(ルサンチマン)をこめた憎悪がはっきりと感じ取られる。実現不可能な夢と信じられていた願望が実現して、そのような恵まれた人々が今彼らの手中にあったのだ。・・・(中略)・・・ルッセは或る教授に対して次のように演説をするSS隊員のことを書いている。『君は教授だった。しかし今はもう教授ではない。今はもうお偉方ではない。今は君はごくつまらん人間だ。ごくつまらん。偉いのはおれだ。』」(第三巻、256〜257p)。


 そして、SS隊員が強制収容所を運営するようになってからは、上記のSA隊員のような自然発生的な野獣性は次第に後退し、「それに代わって人間の尊厳を破壊するために人間の肉体をきわめて冷徹に、まったく計画的かつシステマティックに破壊する方法がとられ」、強制収容所は「完全に正常な人間が押しも押されぬSS隊員に鍛え上げられる錬成の場となったのである」(第三巻、 257p)。


執筆: この記事は舛添要一さんのブログ『舛添要一オフィシャルブログ』からご寄稿いただきました。


寄稿いただいた記事は2018年08月22日時点のものです。


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