鉄スクーターという言葉を聞いたことがあるだろうか。70年代後半以後の樹脂やプラスチック製ボディのスクーターと区別するため、1950年代や60年代の古いモデルを「鉄スクーター」と呼ぶのだ。そんな古いバイク、今でもマトモに走れるのだろうかという疑問に、鉄スクーターの中で残存数が多いラビットで応えてみたいと思う。
ラビットスクーターは、太平洋戦争に敗れた戦後日本で生まれた全く新しい乗り物だった。戦前から戦中にかけて、戦闘機を生産していた中島飛行機は、終戦により平和産業へ転身するため富士産業と名称を変える。この富士産業にアメリカ軍の落下傘部隊が使っていたパウエルというスクーターが持ち込まれた。パウエルの構造をヒントに、135ccエンジンと車体を開発して1947年にラビットスクーターは発売された。
富士重工業は現在SUBARUに改称されたが、この時から富士重工業のクルマ作りが始まったと言っていい。ラビットの販売は好調で、1953年時すでに222ccエンジンを搭載するS55が完成。翌55年にはシリーズ初の2ストロークエンジンを採用するラビット・ジュニアが発売されている。この2ストロークエンジンをベースに開発されたのが、富士重工業初の市販乗用車となるスバル360だったのだ。
一方でラビットも着実に進化を遂げ、1959年には199ccエンジンを採用するラビット・スーパーフロー(S601)を発売。続く1961年には現在でも市場に出回ることが多いラビット・ジュニア(S301)を発売。このS301は123cc 2ストローク単気筒エンジンを搭載し、3速ハンドチェンジによるトランスミッションが組み合わされた。1958年に発売されて市場を席巻する勢いだったホンダのスーパーカブ(C100系)に負けない加速力や最高速度、登坂能力を備えていたことで、S301はラビット史上で最も成功したモデルになった。
このS301は年々進化を遂げ、1964年にエンジンがロータリーバルブ方式に変更され、同年中にS601で定評のあるトルコンを使った無段変速ミッションを採用するスーパーフローを追加発売。またこの年には4速ミッションを採用したツーリング車も登場している。そして1967年に最終モデルであるS301B4型に切り替わる。フロントカウル(通称・お面)に装着されたウインカーレンズが大きな楕円タイプに切り替わったモデル(通称・ウルトラマン)で、富士重工業がラビットの生産を中止する1968年まで作り続けられた。今回写真で紹介するのがこの最終モデルで、トルコンを採用したスーパーフロー(S301BH4)だ。
いかがだろう? この可愛らしいスタイルは、他のどのようなスクーターにもない強烈な個性に溢れている。ホンダは1998年、このスタイルを手本にジュリオというスクーターを発売しているほど、色あせないスタイルといえよう。
このスタイルを見て惚れてしまったなら、もう後には戻れない。中古車を探し始めることだろう。そんなアナタに、これからラビットを所有することがどのような事態になるのか、何回かに渡って紹介したい。