「すべての始まり」は必ずしも原型機や第一号機を指すわけではない。その後に進むべき道を決めたものこそが、その名にふさわしい。日産にとって、このエンジンこそがそういった一機なのではないかと思う。長く、広く愛されたエンジン。今なおその姿を追い求める人は少なくない。
TEXT●近田 茂(CHIKATA Shigeru) PHOTO●桜井淳雄(SAKURAI Atsuo)
日産のL型エンジンと言えば、多くの人は直列6気筒のロングエンジンをイメージするだろう。日産の大量生産エンジンを象徴するモジュール設計を施し、SOHC4気筒のL型と主要コンポーネントを共通化。生産性の向上を目指して設計されていたのが特徴であり、多彩なクルマに幅広く搭載された。
4気筒のL型や旧L20を含めれば1960年代中盤から1980年代前半まで約20年間も活用され、長年にわたり日産の主力エンジンを担った代表的存在なのである。
そもそも日本経済が右肩上がりの成長を続ける元気の良い時代背景のなか、人々はマイカーを持つ夢を実現しつつあった。軽自動車、あるいは1ℓクラスかそれより少し上の大衆車を持つのが多くの夢であった60年代から始まり、万国博に浮かれた70年代へと徐々に豊かな生活が手に入り出す。当然のように市場にも多彩なニーズが出てきたわけだ。
そのなかで、ちょっとプレミアムな、人とは違った高級車に目が向きだすのも当然の成り行きだった。
その象徴として3ダッシュ(3ナンバー登録)のクルマに乗るのが憧れ視された頃である。一般庶民にとって、高価な輸入車はまだまだ夢のまた夢の存在であり、徐々に手が届きそうな贅沢のひとつが、大きなサイズの普通乗用車に乗ること。そしてもうひとつ象徴的なのが小型車でも6気筒エンジンのクルマに乗ることであったと言えよう。
その背景にあるのは、直6ならではのスムーズな回転フィーリングに高級な乗り味を重ね合わせていたことは間違いない。クランクの位相角云々など、メカニズムの優位性に言及する以前に、ごく当たり前に“4発より6発の方が上級である” という、誰の目にも単純明快な差が上級志向を募らせるユーザーのハートを捉えていたことは間違いないだろう。
実際に1970年代初頭までは、2ℓを超える、あるいは小型車枠を超えるクルマはそれほど多くは存在していなかった。日産とトヨタ、マツダの一部車種を除けば、ラインアップのほとんどが小型車であったのだから、そのなかで3ナンバー車を持つ喜びはひときわ大きなものがあったわけだ。
ちなみに現在と税制が異なるが、自動車税を比較すると2ℓの小型車が年間2万4000円だったのに対して、3ナンバーの普通乗用車は5万4000円もしたのだから、この違いは大きかった。何しろ大卒の初任給はまだ10万円に満たなかった時代の話である。現在との比較は難しいが、1ℓ超〜1.5ℓまでのクルマが年間3万4500円であるから、その倍以上であれば4.5ℓ超〜6ℓエンジンを搭載する贅沢なビッグモデルに乗るような感覚だろうか。いずれにせよそんなクルマを愛用することは自分自身にとっても対外的にも、特別なことであったことは間違いない。
その特別を求めて、小型車のなかでできること。プレミアム性を求められる数少ないターゲットのひとつが直列6気筒エンジンに対する憧れに帰結し、それに応えてくれた代表的エンジンがL20だった。
私ごとで恐縮だが、大学時代に発売したばかりのスカイラインGT-X(もちろんL20を搭載)を拝借しあちこちドライブした経験があり、当時は妬みの混じる妙な(嫌な)注目を集めた思い出がある。確かにまだ働いてもいない学生の分際で、当時100万円もするスカイラインの最上級グレードを転がしていたのだから、色々な意味で好奇の目が向けられたのもいたしかたないだろう。まだまだそんな時代背景であったからこそ、6発のL20は誰の眼にも輝いて見える存在だったのだと思う。
日本初のターボエンジンにもなった名機
型式:L24T
種類:水冷直列6気筒SOHC
総排気量(cc):2393
ボア×ストローク(mm):83.0×73.7
圧縮比:8.8
最高出力(kW/rpm):94/5000
最大トルク(Nm/rpm):176/4800
燃料供給装置:キャブレター