雨の筑波でポルシェのラップタイムに及ばなかったロードボンバーのお話は前回既報の通り。意気消沈するどころか、ボンバー関係スタッフのモチベーションは上がる一方。ドライ路面の筑波サーキットに再アタックし、予想以上の好タイムを叩き出すことに成功した。ベストタイムは1分14秒7である。今回は前回お届けできなかった、「ロード・ボンバー製作記 その3」とサーキットレポートに的を絞った「走れ! ロード・ボンバー」の抜粋記事をお届けします。
編集⚫️近田 茂(CHIKATA Shigeru )
◼️続編、開発ストーリー。当時の記事から抜粋(1977年7月号)
⚫️XT-S 500 ロードボンバー製作記 その3
⚫️パーツ選択と単気筒の振動対策
基本ラインの決まったわれわれの“XT-S500”、つぎにやることは部品選びとフレームの製作である。ここでわれながら特異なことをやったのは、ガソリン・タンクやシートストッパーのデザインを決定する以前に、図面で製作を始めてしまったことだ。文:島英彦
⚫️基本骨格は決まった
以上の作業でロード・ボンバーの基本骨格は決まってしまったのである。
作業を開始するには、まだ細部の使用パーツが決まってなかったので、大物から、パーツのチェックを始めてみた。
ホンダCJ360T用のパーツとしては、
① フロント・ホイールAssyはタイヤを含めてCJ用だが、リムはアルミのE型とする。
② リヤ・ホイールもリムだけはアルミのE型とする。
③ FブレーキはCJ用をそのまま使う。これにはディスクプレートも含む。
④ Rブレーキはロッド作動をワイヤー作動にする。これはブレーキ・ペダルの位置に自由度をもたせるためだ。
⑤ フロント・サスペンションはブラケットを含めてCJ用を使う。もしスプリングレートがマッチしなければ、スプリングだけはテストが始まってから対策する。
⑥ リヤ・サスも同様とする。ただし走行を開始してマッチングが悪かったとしても、下側のマウントがふた股でラバープッシュはスイングアーム側にあるから、国産生産車のパーツと置き替える必要が生じたところで、ホンダ系のダンパーとしか互換性はない。
⑦ ウインカーランプはバルブを6VにしてCJ用を使う。
XT 用パーツからは、
① ヘッドライト、タコ/スピードメーターは、マウントパーツはできるだけCJ用を利用しながらXT用を取り付ける。
② アクセルグリップ、ハンドルスイッチ、クラッチレバーなどはXT用を使う。
③ もちろん、バッテリーなど、電気まわりのワイヤーハーネス、ボルテージ・レギュレター、整流器はXT用となる。
④ タイヤ・セッティングのために計画装着品のフロント/ヨコハマ3.00-18、リヤ/ヨコハマ3.50-18以外に、
●フロント用として
BS3.00-18
〃 3.25−19(リム/スポークとも)
●リヤ用として
BS3.75-18
ヨコハマ4.00-18(2.15-18リムとも)
●さらにフロント・ハブ、リヤ。ドラム各1個。
これだけ用意しておけば、製作から開発テストに至る作業で、時間のロスを最少におさえることができるはずだ。シマR&D(リサーチ&デベロップメント)としては、作業工賃は通常、時間当たり3000〜5000円であるが、単位1000円のパーツを見つけるのに大の男が1日中走りまわって2000円以上もらうのは気が引ける。
この部品集めを含めると、図面に取りかかってから2ヵ月以上の時間が費やされてしまった。
⚫️意匠決定以前に出発進行
大かたの部品がそろったところで、ステアリングヘッドや、スイングアーム・ピボット、チェーン引きなど機械加工パーツを外注し、いよいよ製作にかかる。
この時点は、じつはガソリンタンクの形や、シートストッパーの形、つまり意匠を決定する以前の話である。ひどい話だが、意匠が決定する前に製作にとりかかったのだ。タンク/シートは、でき上がったフレームに合わせるというドロなわ式である。
実際にパイプを切ったり溶接したりするのは、カプリシャス・レーシングというFB(フォーミュラ・ビギナー)マシンの製作や日本の4輪ビッグ・イベントのトップ・マシンのメカニックとして有名な鴨下浩己クンであり、小生はそこに図面をもって立ち会っているだけである。
だが考えてみれば、モックアップもない1号車を図面のみで作り上げるのは大変なことなのだ。わずかな作業の変化で、フレームの特性は大幅に変わってしまう。
それゆえに、コピーはなかなかオリジナルを凌駕できないのである。
作業は、エンジン・ループができ上がったところでパッタリと止まってしまった。25.4mm径/2.0mm厚のパイプを立体図面どおりに外注で曲げ、つき合わせ部分をすり込み、ガスフラクサーによって溶接したまではよかったのだが、ビッグ・シングル特有の低周波高振動に対処するエンジン・マウントをどういう形にするのか、思い悩んでしまった。この部分は、図面上位置こそ決まっているものの、それ以外は図面化されていなかったのである。
毎日毎日、小生の腕組みがつづいた。クランクケース前をフロント・ダウン・チューブにマウントするだけで1週間もかかっていた。
時間がかかっても、この部分は気楽にやるわけにはいかなかった。ロード・ボンバーは床の間の置き物ではないのである。ひとつまちがえば。ビッグ・シングルの低周波高振動は、アッという間に、フレームにクラックを入れてしまうからだ。いずれにせよ、ヤマハにしたってXTのフレームには大いに苦労したに違いない。長時間の腕組みがよい方向へ作用するなら、それは決してムダではないはずである。
というヘリクツのもとにエンジン・マウントが決まったのは、それだけで2週間である。この小生の腕組みを黙認して、ひとことも文句をいわずに待った鴨下クンは、特に小生が妥協案でいこうとすると、“妥協はよくないですよ。ボクは待ちますから、気のすむまで考えてください”とくる。これではどちらが年寄り?とわからなくなってきた。小生現在34歳、鴨下クン29歳。
⚫️治具なしで精度を出す。
このフレームの製作にあたっては、治具を作らなかった。一品なら糸張りによる目見の方がかえって作業が早い。治具を作るのに数日も費やすのなら、その労力を他へ向けたよいように思えるのである。フレームの精度は、治具がなくとも、横置きメンバーに正確なセンターポンチをし、糸を張れば±10分ていどの精度を出すのはむずかしいことではない。
とかく治具に頼ると、でき上がってみたらひどい狂いということも多多あるのだ。最終的には、前後輪が一平面上にあれば言うことはないのである。
作業は、エンジン・マウントが決まって以来、快調に進み出した。
角パイプ(20×40/1.6t)のスイングアームも、鉄骨屋さんの「溶接の反対側を同じようにあぶれば、歪みはとれる」というヒントで、かなりの精度で組み上げることができた。このヒントは、われわれから溶接ひずみの恐怖をとり去っていった。
だが、このスイングアームができ上がるまで、実際の製作作業開始後、1ヵ月を経過していたのである。
フレーム、エンジン、サスペンションの仮組みもできるようになったところで、ライディング・ポジションを決めにかかる。ハンドルバーはヤマハのGR50用として、シートレールの上にスポンジを置き、ステップ位置を決める。
ダミーのステップは、2個のパンタグラフ・ジャッキと長さ50cmのパイプ。不用意に高くしないで、つま先も含めて、足が幅狭くなるところをさがす。高さは地面から315mm、500ccクラスの国産車と変わらない線である。前後位置はリヤ・タイヤ前端あたり。
これでマフラーをとおし、ペダルを取付けるスペースを確保しなければならない。うまくすれば、パンク角は、こんな低いステップのまま、静的に左右とも60°近辺までいける目算がたった。モトは、極力バンク角の深いことが本筋のはずである。
(つづく)
※:当時モト・ライダー誌ではバイク(オートバイ)の事を「モト」と表記。
⚫️走れ! ロードボンバー 【筑波テスト】
◼️1分14秒を達成、13秒台突入も可能!?
文:島英彦
ロード・ボンバーの玉成作業はおどろくべき快調さで進んでいる。わたしはこの車が筑波で1分15秒を切ることを祈った。
⚫️ガスが吹き抜けていた
エンジン始動時にバルブまわりに異物を噛んだロード・ボンバーは、処女走行以来680kmで、初めてエンジンをおろすことになった。フレーム本体には現在なんら異常はきたしていない。下敷きなしに作り上げた、一台こっきりのフレームとしては大成功である。
エンジンをおろしたフレームは、仔細に点検したが、問題点は発見されなかった。おろされたエンジンは、まったくのスタンダードなので、整備はXT500と同じである。シリンダーヘッドをあけてみると、燃焼室はオイルのカーボンでベットリとよごれていた。
原因は、ブリーザーから噴き出したオイルが、キャプレターから吸い込まれた結果であったわけだ。オイルのカーボンはインレット・バルブに放射状にこびりつくところから始まって、排気ガスにさらされるエキゾースト・バルブでは、バルブとシートまわりに全周にわたって固着していた。
エンジンをおろす前に、一応コンプレッションをチェックしたのだが、12kg/㎠もあったのが不思議なくらいである。
エキゾースト・バルブとシートのカーボンをきれいに落とし、バルブを組み直して、エキゾースト・ポート側からガソリンを入れて、シールを確認すると、ガソリンはジャジャもり。ガスは吹き抜けていたことになる。
エアツールですり合わせをしてみたが、ガソリンのもれはなかなか止まらず、けっきょくバルブを新品にするとともに、シートカッターをかけることにした。シートは、どうやら前方が沈没気味なのだ。
シート修正後、念のために使用中のバルブをすり合わせてセットしてみたが、どうも曲がっているらしく、新品バルブをセットすることによって、ガソリンによるシールチェックは可となった。それでも、完全ならガソリン注入後15秒でにじみの出るところを、5秒でにじむという感じである。
次回のテストからは、ブリーザーからのオイル噴き出し対策をするか、せめて噴き出したオイルが、キャプレターへ吸い込まれぬようにしなければなるまい。
シート沈没とバルブの曲がりに関しては、さしあたり、薄すぎるキャブレターのセッティングを決めてしまってから様子を見ることにする。メインジェットは、現在XTの標準パーツ最大260番に対して290番だが、8ESのプラグで真白なのである。最終的に340番前後まで上がることも考えられる。
このメインジェットの変わりようは、キャプレターにエアクリーナーが装備されていないことと、排気系の寸法が大幅に変わってしまったところにある。なにせ排気系は、XT500の76年型がエキゾースト・パイプが膨張室のなかでUターンしていることもあって、1m40cmくらいであり、膨張室容積が2.5ℓという寸法に対して、ロード・ボンバーはエキゾースト・パイプが70cm、膨張室が1.2ℓと、極端な変化なのだ。消音器そのものは同一である。
⚫️出た!筑波で1分14秒台
ヘッドまわりの対策を施したエンジンは、ヤマハ発動機の城東営業所のシャシーダイナモ上でテストの結果、OKとなった。残るはさしあたり、山田純にクレームをつけられているリヤ・ショックの対策だが、CJ360純正の新品と交換しておいた。
スプリングをはずしたショックを、使用中のものと比較してみると、新品のほうがかなりダンピングが強いことが確認できた。
このリヤ・ショック交換で、今後の問題が起きるとすれば、フロントがヨコハマからBSへとはきかえられたタイヤに対して、リヤのヨコハマ・タイヤがどんな傾向を示すかである。フロントはBSに換えてバッチリと合ったが、リヤが筑波のダンロップ・ブリッジ先の左コーナーや、最終コーナーでいかなる操安性を示すのか興味のあるところだ。
筑波サーキットといえば、晴天時には最初のテストで1分17秒2を出しただけであり、2回めは6月号で既報どおり雨で参考にならず、次回うまくいけば、1分15秒台に突入したいと考えていた。15秒台に突入すれば、某氏が山田純にシーバス・リーガルを1本進呈するという申し入れもあり、ガンバラなくてはならない。
4月15日、たった1時間の貸切使用ができるようになった筑波サーキットは、曇ってはいたが、雨は降っていなかった。コースは待ちに待ったドライである。タイヤは空気圧を前後とも1.8kg/㎠にセットし、山田純がまず3周、各部の調子を見るためだ。
プラグを見ると、B8ESはまっ白なのでメインジェットを20番上げて310番として、山田純がスタート。5〜6周めには1分15秒台に突入、安定した走行を開始した。8周目には1分14秒7が出て、一同ア然となる。
生産車ではGS750 が1分14秒1ていどであり、信じられないような速さなのだ。14秒7のピットサインを見た山田純は、ピットイン第一声“本当ですか”ときた。14秒台が3周もつづいたのだから、かけ値のないタイムなのだ。
そして、フロント・ブレーキが頼りないこと、リヤがダンロップ・ブリッジ先の左コーナーと、最終コーナーでよれていることを確認した。
このふたつを対策できれば、1分13秒台に突入できそうだ。14秒台のタイムも、ようやく出せた走りではなく、その気になれば14秒すれすれまでもち込めると山田純はいうのである。
というのは、ロード・ボンバーは一台こっきりのモトであり、一度でも転倒させてしまうと、フレームやガソリンタンクなどはすべて作りなおさなければならないのだ。つまり、“目一杯”がなかなかやれない宿命なのである。
でも、こうなったら、フロント・ブレーキとリヤ・タイヤを対策した上で13秒台に突入させ、山田純と糟野雅治両ライダーによる筑波タイム・アタックを敢行してみたいと思う。次回テストはこの線でいってみよう。
⚫️まだまだ熟成は可能
手前勝手に考えれば、まだキャブ・セッティングも不完全であり、メイン・ジェットは310番から、あと20番くらいは上がりそうな気配なので、セットアップが進めば、もうすこしタイムが向上しそうな感じなのである。
この時、テストに同行した堀ヒロ子は、ロード・ボンバー初体験で数周後には1分20秒台でコンスタントに走ってしまった。
現代的単コロ、オンロードのロード・ボンバーは今のところ恐ろしいほどの快調さで開発進行中である。
最後に、今回までの開発テスト経過をまとめておこう。
●1977/1/21 谷田部にて1時間、60km初走行。2次減速比16/37
●1977/1/22 筑波サーキットにて山田純が1分17秒2を出す。ここでフロントの座りの悪さを確認。マフラーマウント、セパレーター脱落。
●1977/2/21 谷田部にて最高速と0〜400m加速をチェック。雨中157km/hと、14.8秒を確認。フロント・タイヤはヨコハマ3.00-18(Y982)からBS3.00-18に変更。フロントが座ったことを確認。
本橋先輩が試乗。ハンドルバー形状とステップ位置の悪さ、シートスポンジの柔らかすぎを指摘。2次減速16/40。エンジン伸び切り。
●1977/3/23 筑波にて走行。雨中1分22秒を出す。マフラー・セパレーター除去。2次減速比16/40。
●1977/3/24 谷田部にて、路面ウェットで、174km/hの最高速度と14秒28の0〜400加速確認。2次減速比17/40、MJ290。エンジン、タレ気味、ブリーザーからのオイル噴き出し。
●1977/4/7 ヤマハ発動機城東営業所で、シリンダーヘッドまわりオーバーホール。リヤ・ショック交換。サイドスタンドが倒れ気味となってきた。
●1977/4/15 筑波サーキットにて1分14秒7を出す。ライダーがフロント・ブレーキ力不足とリヤのよれを訴える。MJ310、2次減速比17/40。
⚫️次回テスト報告にご期待ください!
次回予定 リヤタイヤをヨコハマからBSに交換して、ダンロップ先左コーナーと最終コーナーのよれ対策をする。フロント・ブレーキのマスターシリンダーとキャリパーシリンダーのレシオを大きくして、ブレーキレバー入力を小さくする。ブレーキレバー入力を小さくする。ディスクローターは変色しておらず、容量不足がブレーキ力不足の原因でないと思われる。
メインジェットの番数を最終的に決定する。できればブリーザーの噴き出し対策をする。ただし、筑波サーキットの走行ではアクセルの開閉が多いので噴き出すことはなく、問題は谷田部のフルスロットル運転時にある。
以上の対策をすると、リヤ・タイヤの影響でスイングアームの剛性過大という現象が起こる可能性もあるが、これは走ってからのお楽しみとしてとっておこう。
★次回はいよいよ鈴鹿6時間耐久レースへのチャレンジを2回に渡ってお届け致します。
乞うご期待!!