衝撃の初代デビューから早くも20年が経ち、三代目を数えるまでになったアウディTT。世界中にファンを抱え、今やクルマ好きでその名を知らぬ者などいるはずもない。だが、あの初代TTが実は二代目だったと言ったら、みなさんは信じてくれるだろうか? 今回は、知られざる初代TTについて紐解くことにしよう。
TEXT●小泉建治(KOIZUMI Kenji)
アウディの前身ブランドのひとつ、NSUが放ったスポーツクーペ
バウハウス的デザインを身にまとい、1998年に鮮烈なデビューを果たした初代アウディTT。その後20年を経てTTはアウディを代表するスポーツカーとしての地位を確立し、現在は三代目がラインナップされて相変わらずの人気を博している。
だがこのTT、実は初代がデビューするはるか昔に、本当の初代モデルがデビューしていたと聞いたら、みなさんかなり驚くのではないだろうか。
現在のアウディの前身にあたるアウトウニオンが、ホルヒ、アウディ、ヴァンダラー、DKWという4つのメーカーの合併によって形成されたことはご存知の方も多いかと思う。そして1969年、そのアウトウニオンはさらにNSUを吸収し、「アウディNSUアウトウニオンAG」を名乗るようになる。
そのNSUが1965年に「TT」という名のスポーツクーペをデビューさせていたのだ。
ネーミングの由来はマン島TTレース
さらに1967年には、エボリューションモデルである「TTS」もデビュー! 700kgの軽量ボディに直列4気筒OHCの1.0Lユニットを搭載し、最高出力70hp/6150rpm、最高速度163km/hのハイパフォーマンスを誇った。TTどころか、TTSも伝統のネーミングだったのである。
もちろんこのクルマはアウディTTではなく、NSU TTである。しかしそもそも現在のアウディは、かつてのアウディ、ホルヒ、ヴァンダラー、DKW、そしてNSUのすべてを統合したものであるわけで、NSUの歴史はアウディの歴史と言っても間違いはない。しかもこの初代TTは1972年まで生産されており、その頃はすでにアウディNSUアウトウニオンAGとして、アウディとNSUは同じメーカーとなっていたわけだから、すなわちNSU TTはアウディTTの正統な先祖に当たるわけだ。
ちなみにNSUは二輪メーカーでもあり、レースの世界でも数々の実績を残している。とくに1954年のマン島TTレースでは、「ライトウェイトTTクラス」において1位から4位を独占しており、後にTTレースでの活躍を記念した「NSU Quickly TT」というモデルを販売している。同じくアウトウニオンの形成メンバーであるDKWもかつては二輪メーカーで、1938年にはマン島TTレースを制している。こうした歴史が現在の「アウディTT」のネーミングの由来になったのだ。
今年で生誕20周年を迎えたアウディTTだが、実はもっと長い歴史を背景に持っていたことは知っておいて損はないだろう。
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