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ホンダ・モンキーはメリーゴーランドだった? 多摩テックとZ100解説。


かつて50ccだったモンキーが125ccとなって2018年7月12日に復活し、話題を呼んでいる。そのモンキーの歴史は古く、1号機は半世紀以上前の1961年(昭和36年)10月に登場した。“遊園地の乗り物”として開発された1号機を細かく解説しよう。


REPORT●北秀昭(KITA Hideaki)

 1961年1月、ホンダは新会社の「モータースポーツランド」を設立。東京(多摩テック。2009年に閉園)、奈良(生駒テック。1965年に閉園)、埼玉(現在の朝霞研究所)、鈴鹿(現在の鈴鹿サーキット)の各地に「TECH(テック)=テクニカルランド」と呼ばれる二輪や四輪の遊技場を設けることになった。




 このテックの乗り物として作られたのが、モンキーの1号機となる「Z100」。子供でもバイクに親しめるように設計されたZ100は、当時“モンキーオートバイ”とも呼ばれた。

モンキーの1号機「Z100」。

●Z100主要諸元


エンジン形式:空冷4サイクルOHV単気筒49cc /最大出力:4.5ps/9500rpm /変速機:3速ロータリー /クラッチ形式:自動遠心式 /タイヤサイズ:前後4.0-5

 Z100は1961年10月、東京・晴海で開催された自動車ショーで正式に発表。前後5インチホイール、前後リジッドサス、アップマフラー、三角形の樹脂タンク、工具なしで取り外しが可能な折り畳み式ハンドルなどを採用。エンジンにスーパーカブと同系統のOHV49ccを搭載しているのも特徴だ。




 Z100が多摩テックで一般公開されたのは、1962年5月。多摩テックには当時、カブ系エンジンを搭載したゴーカート等々もあった。Z100もその1つで、13歳以上(中学生以上)を対象としていた。




 4.5psを発生するエンジンは、最高速度を30km/h程度に抑制。キャブレターのスロットルバルブ部分に開度を制限するリミット機能が付け加えられるなど、“遊園地の乗り物”ならではの工夫が施されていた。




当時の多摩テックには、木馬の代わりにZ100やベンリィC92などを配置したユニークなメリーゴーランドも存在した。

遊技場内でZ100を操る子供たち。写真は1961年発行の「Honda社報」より。
冒頭でも紹介したZ100のメリーゴーランド。まだ運転できない子供に向けたアトラクションだ。


 Z100は1962年12月から、ヨーロッパに向けて輸出を開始。当時の広報資料によれば、1964年~1966年にかけ、イギリスやフランスで合計7636台が出荷されるなど、Z100は好調な売れ行きを示した。当時、ヨーロッパでのZ100の価格は1台7万円程度だった(1967年に発売された国内市販モンキー第1号のZ50Mは6万3000円)。




 なお程度の良いZ100は、現在では数百万円のお値段が付く超お宝車。海外輸出のみだったZ100は、日本国内ではごく一部のコレクターが所有するのみで、入手はほぼ不可能。Z100を入手する方法は、「ヨーロッパのモンキーマニアを見つけ出してコネクションを築く」「地道に探す」「お金に糸目は付けない」の3つだろう。

モンキー発祥の地、TECH(テック)=テクニカルランドとは?

「モンキー生誕の地」としても親しまれた多摩テック。 PHOTO●北秀昭(KITA Hideaki)

先にも述べたが、1961年1月にホンダは新会社の「モータースポーツランド」を設立。東京(多摩テック。2009年に閉園)、奈良(生駒テック。1965年に閉園)、埼玉(現在の朝霞研究所)、鈴鹿(現在の鈴鹿サーキット)の各地に「TECH(テック)=テクニカルランド」と呼ばれるバイクや自動車の遊技場を設けることになった。




“テック”の中でもっとも有名なのが、2009年まで営業していた多摩テック。東京郊外の日野市にあり、様々な遊具やアトラクションを備えた巨大遊園地としても有名だった多摩テックは、「モンキー発祥の地」として、モンキーユーザーを集めたイベントなども頻繁に行われていた。

多摩テックではモンキーミーティングも積極的に開催。 PHOTO●北秀昭(KITA Hideaki)

 多摩テックもそうだが、テックは元来、バイクのテクニックを磨き、競い合うモータースポーツランドとして開園。その歴史は、現在8時間耐久レースやF1などが開催されている鈴鹿サーキット(1962年完成)よりも古い。




 多摩テックが開園されたのは、1961年(昭和36年)。日本は高度成長期を迎え、庶民の生活はどんどん豊かになっていった(3年後の1964年に東京オリンピック開催)。


国民の所得は増え、電化製品なども普及。人々の関心は、やがてバイクや車にも向けられるようになった。




 バイクや車が普及し始めると、都市部から順に道路が整備される。すると「カミナリ族」と呼ばれる若者たちが台頭する。




彼らは、


・猛スピードで爆走し、他の車両に迷惑をかける


・マフラーをぶった切って爆音をまきちらし、通行人や近隣住民に迷惑をかける


・タンク&シート上にうつ伏せになり、スーパーマンが空を飛ぶようなスタイルで曲芸乗りをする




 このような無謀運転によって事故が急増。また騒音などで一般市民も迷惑をこうむるようになり、カミナリ族の存在は社会問題化。そこでバイクメーカーであるホンダはこう考えた。


 「 “危ない運転をするな”、“スピードを抑えろ”と頭ごなしに説いても、若者たちは反発するだけ。それよりも、思う存分走れる安全な場所を提供することの方が大事ではないか」と。




 こうしてホンダは都市郊外に、モータースポーツランドの建設を計画。オフロードコースなどを装備した多摩テックは、1961年にめでたく完成した。

多摩テックの初代総支配人は、元世界GPライダーであり、元レーシングドライバーの高橋国光さん。 PHOTO●北秀昭(KITA Hideaki)
オフロードライダーでもあった元レーシングドライバーの長谷見昌弘さん。長谷見さんは多摩テックでオフロードのテクニックを磨いた。 PHOTO●北秀昭(KITA Hideaki)


 元レーシングドライバーの長谷見昌弘さんなど、多くのライダーたちがテクニックを磨いた多摩テック。その後は年齢を問わずに楽しめる遊園地へと進化したが、娯楽の多様化などに伴い2009年に惜しまれつつ閉園した。

1964に登場したモンキーの2号機、CZ100

 Z100と同じく、ホンダにも詳細な資料が残っていないという超お宝モデル、CZ100。国内では子供たちの遊技用として、多摩テックや生駒テックで活躍。ヨーロッパなどへも輸出された。




 CZ100は1961年型のスポーツカブ(C111)の6Lメッキタンクを流用してコストダウン。Z100との違いはタンクのほか、フレーム形状、エンジン特性、キャブレターなど。




 程度の良いCZ100もまた程度の良いものは、数百万円のお値段が付く超プレミアモデル。国内販売がなく海外輸出のみだったこともあり、国内では一部のコレクターが所有しているのみ。こちらも入手はほぼ不可能といえる。

●CZ100主要諸元


燃料タンク容量:6L /エンジン形式:空冷4サイクルOHV単気筒49cc /最大出力:4.3ps/9500rpm /最大トルク:0.34kgm/8500rpm /変速機:3速ロータリー/クラッチ形式:自動遠心式/タイヤサイズ:前後4.0-5
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