旧車を維持していくうえで、最近は2極化が進んでいると感じることが増えてきた。
まず一方は「生活に余裕があり、そして旧車への情熱が並々ならぬ人」。
そしてもう一方は、「旧車がたまらなく好きで、その維持のためなら努力を怠らない人」だ。
この場合、ある程度の修理は自分でやることが鉄則となる。著者の周囲には、どちらかと言うと後者の方が多いように思う。
旧車を維持していくうえでの難関は「エンジンを降ろすところ」ではないか?経験上、そう思うところがあり、今回はその点を中心に話を進めていきたい。
そもそも「なぜエンジンを降ろす」のか?
旧車を維持していくうえで「どうしてもエンジンを降ろさなければならない修理」が発生する場合がある。
一般的ではない話と思うかもしれないが、クルマによってはクラッチ板や、タイミングベルトの交換のたびにエンジンを降ろす必要があるケースも存在する(事実、著者の乗るMGBや、以前乗っていたオースチン・ヒーレー・スプライトなどはクラッチ交換でもエンジンを降ろす必要があるのだ)。
エンジン脱着の工賃は、(ショップ等によっても異なるが)最低でも10万円前後の出費を覚悟する必要がある。
その後、部品の交換や修理の工賃を含めると、当然ではあるがトータルの費用が結構な金額になったりする。
では、それなりに費用が掛かることを大前提として旧車を維持するのか?もしくは、そのハードルを超えて自分で修理するのか?この決断次第で、旧車の維持に掛かる費用が変わってくると著者は考えている。
もちろん「エンジンを降ろす作業」には、知識と経験、そして工具が必要となる。
「そんなことは不可能だよ!?」
と普通であれば考えるかもしれない。
しかし著者は、20代半ばのまだ旧車に関する知識が少なかった頃、ある経験から「エンジンを降ろすのは自分でやって当たり前なんだ!」という極論にたどり着いた。そして、いまでも、必要とあらばいつでもエンジンを降ろして修理やレストアを行っている。
「エンジンを降ろす」という行為に対する高いハードル
まだ九州から上京してアパート暮らしだった頃、筆者はアルバイトをしながら苦労して手に入れたオースチン・ヒーレー・スプライトMk3を所有していた。