若者と年長者の世代間の断絶というか、相互理解のできなさ加減は、もはや人類史上避けることができないように思う。クルマの世界でもそのときどきで、世代間の断絶というか、時代が移り変わる狭間ごとのストレスがありそうだ。しかし、それは時間の経過によって少しずつ馴染んでくることもある(はずだ)と思っている。
昭和:マニュアルからオートマ。それ以前はキャブからインジェクション
昭和の昔、そもそも「オートマ限定免許」なんてものは存在しなかった。運転免許証を持っている人は皆、マニュアル車を運転できる資格を有していた。…と同時に作法があったように思う。
エンジンをかけるときにはギアがニュートラルになっていることを確認するために、シフトレバーをぐにゃぐにゃと左右に動かし、それからクラッチペダルを踏んでからセルを回した。まぁ、シフトレバーの動かしかたやクラッチペダルを踏み込むタイミングは人それぞれだろうから、そのあたりはご容赦願いたい。
ひとまずエンジンがかかったら、再度クラッチを踏み直し、ギアをローにいれ、周囲の安全確認をしてから、サイドブレーキを解除し、アクセルを踏みながらクラッチを少しずつ離して発進をするというのが一連の動作だった。オートマ限定免許ができるずっと前からオートマ車は存在していたが、「クラッチ操作のできない下手くそが乗るクルマ」とか「燃費が悪い」とか「壊れやすい」というような印象が強かったように思う。その結果、運転が特に好きだったり、マニュアル車の運転歴が長い人からは敬遠され、嫌われていた。安全確認と煩雑な運転操作が同時にできないとうまく発進できないので、その両方を円滑にできる人が「運転がうまい」とされていたわけだ。
その背景には、ガソリンの噴霧形式がキャブからインジェクションへ変化したことも影響が大きいと感じている。上記の発進の手順のさらに手前で、エンジン始動時にチョークレバーを引き、アクセルペダルを3回踏み、アクセルをソローっと踏みながらセルを回すなんて儀式(※車種によってさまざま)があった。さらにその前にキャブのジェットの調整も必要だったり…と、調子よく走らせるにはそれなりの技術が必要だった。