過日。特に原稿の注文もなく極度にヒマであったため、わたしは朝から駅前の薬局に並んでみるにした。トイレットペーパーを買いだめし、自宅押入れにしこたま貯蔵するためである。
朝5時から並べば行列の先頭に位置できるだろうと確信していたが、先着の者がいた。大学生風の男である。
わたしはわざとらしく舌打ちし、足でさりげなく砂をかける、その者に向かってげっぷをするなどして、その者を列から離脱させるため、ありとあらゆるセコい工作を行った。
だがその者は離脱する素振りをいっさい見せず、あるときこちらを振り向き、言った。
「さっきからいろいろとセコいことをしているのは、高名な自動車ライターであられる伊達軍曹先生ですよね?」
わたしは即座に否定した。
「違う。この世に『高名なる伊達軍曹先生』などという者は存在しない。いるのはこのわたし、セコい工作が得意で無名な伊達軍曹だけだ」
「ならば、本日初めて生で見たあなたの人格にがっかりするとともに、訂正しましょう。無名な伊達軍曹さん、わたしに『経験ゼロでいきなりフリーランスの自動車ライターになる方法』を教えてください。いや、教えなさい」
……いったい何を言い出すのだこの若造は。今日び、フリーの自動車ライターなどという職種は斜陽中の斜陽であり、まともな若人が目指すべきまともな職業では断じてない。ていうかそもそも、「経験ゼロでいきなりなれる」と思っていること自体が異常である。
「ええと、先ほどは砂をかけたりして申し訳ありませんでした。で、悪いことは申しませんから、そのまま大学で勉学に励んでください。そして優等な成績をたくさん取って、三菱地所とかの優良日系大企業に正社員として就職し、充実した福利厚生の恩恵を受けながら明るい家庭を築いてください」
「そうなんですか?」
「はいそうなんです。それが人としての幸せの道です。間違いありません。……ではわたくし、この後のトイレットペーパー争奪戦に備えて精神統一に入りますので、今日のところはこのへんで……」
そう言って面倒ごとから逃げようと試みたわたしだったが、大学生風の男は許してくれない。やれNAVIのスズキさん(現GQ編集長)のエッセイがどうだとか、AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)の入会基準がこうのとか、いつまでも自動車ライターになりたい系の話をやめようとしない。