今日はちょっと暗い話をしたいと思う。
スーパーカーは常に「妬み」の対象になる、という話だ。
スーパーカーを傷つける人は後を絶たない
ネット上では、ときどきスーパーカーに対してなんらかのいたずらを行う人々の姿が見られる。
ランボルギーニ・アヴェンタドールの上に飛び乗って走り去る人や、下品な嫌がらせをした人、ウラカンのボディ全面に執拗に傷をつけた人もいる。
不景気や社会情勢が変化するとさらにこの傾向が加速するようだ。
たとえばリーマンショックの際には、スーパーカーに放火する「スーパーカーボマー」が登場したし、湾岸戦争時には「ガソリンを大量に消費する」という理由だけでスーパーカー(とSUV)が相次いで破壊されたこともある。
最近だと、ドイツでG20(20カ国地域首脳会議)が開催された際、貧富の差が拡大することに抗議する人々がポルシェのディーラーへと放火し、ポルシェもの10台が犠牲になった。
ボクは彼らの気持ちも理解できないわけではない。
人は、本能的に自分よりも恵まれた環境にある人を妬む傾向にあるからだ。
そういうボクだって、聖人君子ではない。
イケメンを見るといつも「自分もイケメンだったなら」と思うし、背の高い人を見ると「自分も背が高かったなら」と考える。
だが、ボクはけして彼らを妬むことはない。
誓ってもいい。羨むことはあっても妬むことは絶対にない。
今の自分よりも優れた自分になろうとするか、そうでないか
顔や身長はいまさらどうしようもないが、たとえば誰か他の人が、自分よりも優れた製品を持っていたり、欲しいと考えていて、しかし(高価すぎて)手に入れることができなかったモノを持っていたとする。
ボクはそのとき、たしかに「いいなあ」とは思うだろう。
だが、「どうせ悪さでもしてお金を儲けているんだろう」とは考えない。
どうすれば彼らと同じようなモノを持てるのか、いやどうすれば彼らよりももっといいモノを持てるようになるのか、とボクは考える。
人を妬む気持は理解できる。
人を妬む気持ちは「負のエネルギー」だ。
そしてそれを発散させるのに一部の人はより安易な行動に出る。
そう、自分よりも恵まれた人を貶めるのだ。
彼らは、自分の手が届かないようなスーパーカーを傷つけることで、彼らの自尊心を満たし、自分を優位に絶たせようとする。