10月12日は芭蕉忌。言わずと知れた日本を代表する江戸前期の俳人、松尾芭蕉(1644~1694)の忌日です。芭蕉は、現在の三重県西部にあたる伊賀国の生まれ。のち江戸・深川の芭蕉庵に居を構えたのち、各地を旅して俳句や紀行文を残し、わび・さび・軽みなどの蕉風を確立しました。秋から初冬にかけての芭蕉の作品を、いくつか味わってみましょう。
荒海や佐渡によこたふ天の河
まずは、芭蕉の秋の名句から。
・荒海や佐渡によこたふ天の河
・あかあかと日は難面(つれなく)もあきの風
この句には現代の初秋につながるリアリティがあります。毎年きつくなる残暑の中にも、九月頃の夕暮れ時に、そよぐ秋風を感じた嬉しさ。「つれない」と日差しを擬人化して、軽みと親しみを表しているのですね。
・むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす
『平家物語』や謡曲『実盛』で語られている、斎藤実盛の兜がまつられている小松市の多太神社を訪れた際の作です。
・石山の石より白し秋の風
・物言へば唇さむし秋の風
・秋深き隣は何をする人ぞ
「秋深し」で覚えているかたも多いようですが正確には、「秋深き」です。亡くなる2週間ほど前の、具合が悪く俳会に出られず伏せっていた際のもの。孤独感や寂寥感を表しながらも飄々と、名もなき隣人への共感をも込めた名作。現代のマンション住まいの中でも、ふと呟いてしまう五七五ではないでしょうか。
名月に麓の霧や田の曇り
次に「月」の句です。どの季節の月も美しいものですが、秋から冬にかけて空が冷たく澄む中に、明るく大きく照りわたる月は格別のもの。誰もが共感するわかりやすい内容から注釈が欲しい重層構造の句まで、さすがの芭蕉、ずらりと並びます。その一部をご紹介します。
・名月や池をめぐりて夜もすがら
・あの中に蒔絵書きたし宿の月
・月ぞしるべこなたへ入らせ旅の宿
灯りはなくとも、明るい月こそ道しるべ。どうぞこちらへお入りください、と呼びかける旅籠屋の、おそらく女将の言葉でしょうか。
・月さびよ明智が妻の咄しせむ
月の「さび」は、昔からよく歌にも詠まれていた表現で、月の閑寂な趣を表します。また、芭蕉とその門流の俳風を代表する概念が「さび」。芭蕉の俳句にとって、大切な世界観です。
伊勢国の俳人、又玄の家で、貧しいながらも心づくしのもてなしを受けた芭蕉。引用したのは、明智光秀の出世前の貧しい頃のエピソード。光秀の妻は長い黒髪を切り、売った費用で立派な連歌会を営み、夫の面目を保ちました。昔話を借りる形で又玄の妻を讃え、月はますます寂び寂びと澄み輝いておくれ、と詠んだ芭蕉。弟子へのあたたかい眼差しを感じます。
・名月に麓(ふもと)の霧や田の曇り
元禄7(1694)年旧暦の8月15日、51歳の最晩年の作品です。伊賀上野の芭蕉の実家に門人達が建てた「無名庵」にて、月見の宴を催した際の句。小高い台地から伊賀盆地を見渡す光景が、明るい月の光に照らされています。芭蕉はこの2ヶ月後、九州へ向かう途上の大坂で「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」を残したのち、病没しました。
百歳の気色を庭の落葉哉
最後は、菊や紅葉など植物が季語の句を挙げましょう。
・菊の香や奈良には古き仏たち
・山中や菊は手折らぬ湯の匂ひ
・蔦の葉はむかしめきたる紅葉哉
・色付(いろづく)や豆腐に落ちて薄紅葉
白い豆腐の上に薄紅葉が落ちて紅く色付いた、の意味ですが、当時の珍しい紅葉豆腐料理に見立てているようです。
・百歳(ももとせ)の気色(けしき)を庭の落葉哉
「落葉」は、冬の季語になります。晩秋から冬にかけて、落葉樹から落ちる木の葉や落ち葉が地面や水面を覆う様子は、芭蕉をはじめ多くの俳人に好んで表現されてきました。この句は、彦根市の明照寺にて、寺がこの地に移されてから百年となる話を聞き、芭蕉が詠んだもの。長い時間を経た寺の歴史と、古びた庭に堆積する落ち葉の層が織り成す、蒼古となる景色に想いを寄せています。
確立された解釈の一方で、自由な解釈のイマジネーションが広がるのも、俳句の世界の良いところ。芭蕉の生きていた頃には思いもよらないことでしょうが、今や人生100年時代。「百歳」の文字が、縁起良く見えてきます。「気色(けしき)」には、ようす、表情、態度、きざし、兆候、心の動きなどの広い意味があります。「百歳の気色を庭の落葉哉」の言の葉を眺めていると、庭の落葉も紅葉グラデーションの美しい世界となり、100歳長寿の可能性への応援歌に見えてくるかもしれません。
俳諧を文芸として高めた芭蕉ですが、侘び寂びのみならず、ユーモアの糊代も存分に遺してくれました。芭蕉のようにリアルな旅や、あるいは想像の旅を通じて、俳句の世界を冒険し続けたいものですね。
【句の引用と参考文献】
山本健吉 (著)『芭蕉全発句 』(講談社)
工藤 寛正 (著)『図説 江戸の芭蕉を歩く 』(河出書房新社)