9月28日より、秋分の次候「「蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)」となります。秋の深まりとともに、節足動物や爬虫類、両生類などの「虫」が、冬篭りの支度をはじめる頃とされます。「坏(杯/つき)」とは、茶碗や鉢よりも器壁が浅く、皿よりは器壁が深い、盃(さかずき)型の器のこと。古くは蓋つきのものが正式で、「坏戸」は、盃の蓋を虫たちの冬篭り穴の戸にたとえたのでしょう。小さな生き物たちが内側からそっと蓋をしめる姿を想像するとかわいいですよね。とはいえ、実際には9月末から10月の初め頃といえば、まだまだ多くの昆虫類は活発で、あの害虫の代表・蚊も、まだまだ私たちの血を狙ってうろついています。
仕込まれた3分間のカラータイマー。メス蚊決死の突撃吸血
彼岸を過ぎると、さすがに残暑まで粘っていたセミの声もぱたりと途絶え、ふと気づくと、蝶や蛾の冬越しのさなぎが木についていたりするのも見かけます。虫たちにとっては冬支度に取り掛かる時期。成虫で越冬する種類はせっせと食べて栄養を蓄え、次世代に託す組は、交尾や産卵にいそしみます。蛾や蝶の仲間の多くはサナギで冬越ししますが、コウチュウ類は、木の皮の裏側や穴などにこもって冬越しをします。蜂やアリでは、女王のみが生き残って冬越しをするタイプと、ミツバチのように一族で生き残り、巣の中で寄り合って体温をあげて冬越しをするタイプとがあります。水生昆虫であるミズカマキリやミズスマシ、タイコウチなどは田や池の水底の泥にもぐりこんで冬越しをします。
人家などに出入りして、人間に依存して生活している害虫の類はどうしているのでしょうか。ゴキブリが家具や家屋の隙間に入り込んで冬越ししていることは知られていますし、またハエも、下水道や家の隙間などで成虫のまま冬越ししますので、冬でも暖かい日の日中には、ふらふらと日当たりのいい場所に出てきている姿を、見かけますよね。
人間の血を吸い、ときに伝染病を媒介することで、特に有害性の高い蚊はどうしているのでしょうか。実は蚊も、多くは死滅しますが、メスの一部は成虫で冬越しします。人家近くの暖かい場所でじっとして、翌春まで待機しているのです。
蚊は気温が15度を超えると活動を始め、22度を超えるといわゆる吸血行動をはじめます。ご存知の通り、吸血をするのはメスだけで、オスは花の蜜などを飲むだけです。メスも、常食が人間や動物の血液と言うわけではなく、オスと交尾した後のメスのみが吸血をおこないます。
メス蚊の吸血針は、鞘も含めて7本にわかれていて、それぞれが皮膚を切り裂く針、差し込んで血液を溶融させるアピラーゼ、痛みを感じさせないための麻酔物質を咽頭から注入する針などがあり、約2分かけて2ミリグラムほどの血液を吸い続けます。麻酔効果が約3分なので、気づかれずに吸血し、飛び去るまでの時間を含めて3分間で命をかけた勝負を挑んでいるわけです。血を吸った蚊は体重が吸血前の2倍にもなっているので、よろよろと飛んでいって、目立たない壁や物陰などに止まって、吸収した血液を消化します。
2~3日かけて消化された血液が栄養となって排卵が起こり、体内に保存されていた交尾時の精子と結合して受精して、メスは適当な水たまりを探して産卵します。
メス蚊がその約3週間の生涯の間に交尾をするのはただ一度だけ。そのとき受け取ったオスの精子を大事に溜め込んで、人間や動物の血を吸って産卵、再び血を吸って産卵、という行動を4~5回も繰りかえします。産卵する水にも案外好みにうるさく、慎重に選定をします。きれいな水道水などは好みではなく、有機物が多い汚れた水が好み。
こうして見ると何だかけなげで、わずかな血くらいあげたっていいかなとも思うのですが、何しろあのかゆみと不愉快なプーンという羽音。羽音に関しては、高い羽音はオスを誘引する作用があるらしい、といわれています。
それでも、かゆみのほうはどうなのでしょうか。ヒルのようなかゆみを感じさせない吸血生物もいるわけですから、なぜ蚊が、わざわざターゲットに嫌われるかゆみを起こさせるのかは、多くの人が不思議に思うのではないでしょうか。
ジュラ紀から続くブラッドハンターとターゲットの仁義なき戦い
蚊は、約2億年前のジュラ紀には既に存在していて、アメリカのモンタナ州で発見された4600万年前の琥珀の中の化石には、吸血した血液をおなかにためた化石も見つかっていて、その頃には動物の血液を栄養源にして繁殖する生態を獲得していたこともわかっています(Proc. Natl. Acad. Sci. USA・1014/Hemoglobin-derived porphyrins preserved in a Middle Eocene blood-engorged mosquito)。
こうした何千万年、もしかしたら何億年にもわたる吸血行動の中で、ターゲットになる動物は、さまざまな病原菌を媒介する蚊にむやみに吸われてはたまらないので、蚊の唾液に反応してかゆみを覚える物質を分泌するように進化します。蚊は、更に感知されないように進化したかもしれませんが、ターゲット側もまたそれにあわせて進化したのです。このようないたちごっこが続けられてきたこと、そして、そもそもそうした進化をとげずにかゆみを感じることのない種類、個体は、もしかしたら蚊が媒介する病原菌により絶滅していったために、蚊に刺されてかゆみを感じる者のみが生き残ってきた、ということなのかもしれません。
流行り廃りがあった?蚊の勢力図交替劇
ところで、蚊は蚊でも、屋外で刺される蚊と屋内に現れる蚊では姿かたちも刺された後のかゆみも、違うように思いませんか?
日本には13属、31種の蚊が生息するといわれ、特によく見かけるのは3属で、屋内で生息するイエカ属と、戸外で生息するヤブカ属、ハマダラカ属です。
外で主に見られるのは全身が黒っぽく白いまだらや縞のある、いわゆるヤブカ。人の生活圏に現れるヤブカのほとんどはヒトスジシマカ(一筋縞蚊 Aedes (Stegomyia) albopictus)で、刺されると急激にかゆみが襲い、刺された箇所が局所的にこんもりと膨れ上がりますが、かゆみの引くのも比較的早く、かゆみがぶり返すこともほとんどありません。また、比較的動きが緩慢で単調なので、潰すのも難しくありません。
一方、家の中に出現するのは全身が黄褐色の、いわゆるアカイエカ (赤家蚊 Culex pipiens pallens)。かゆみが起きるのは比較的遅いのですが、かゆみはしつこく長く続き、刺された箇所周辺がヤブカよりも広範囲に腫れる性質があります。アカイエカは人家周辺の水溜りやドブ、下水枡などの汚水で幼虫(ぼうふら)として発生する蚊で、動きは俊敏でなかなか退治が難しく、夜中にまとわりつかれて悩まされる人も多いのではないでしょうか。網戸にしていても、目が粗い網戸の場合は体を縮めて潜り抜けて侵入するという技も持っています。
ところがこのアカイエカ、実は近年はどんどん生息数を減らしているのです。
かつては日本の都市部では下水もドブに垂れ流しで、家畜の飼育も多く、また人家も多くの出入りできる隙間があり、アカイエカにとっては天国のような環境でした。昭和20年代から40年代はアカイエカが大発生、大繁栄していて、人家近くに住んでいる蚊はほとんどすべてアカイエカでした。しかし、上下水道の普及、機密性の高い家屋やエアコンと、人間の生活圏が清潔化するのに伴い、アカイエカが生存できる場は奪われ、猛烈に数が減ってしまいました。
そしてそれに取って代わるように、今世紀はヒトスジシマカが人家近くで大発生するようになっています。現在では捕獲された蚊の7割以上がヒトスジシマカ。
昭和の時代ならば、ヤブカといえば、キャンプや遠足で出かけた山にでも行かないと出会うことのない珍しい蚊だったのです。ただ、ヒトスジシマカは大発生しても滅多に屋内に侵入してくることは少ないので、一歩外に出た瞬間、たとえば駐車場やコンビニの外などで立ち止まっているときに速攻で食われた、なんて経験をされた方も多いのではないでしょうか。
また、アカイエカも数は減ったとはいえ、生き残ったものはより強力になっていて、ちょっと叩いたくらいではつぶれなかったり、蚊取り線香にも負けずに吸血してくるツワモノもいます。
ヒトスジシマカも今は家には入ってきませんが、何年後かには進化して、室内型に進化するかもしれません。