
戦後80年。野球界にもさまざまな思いがある。西武モンテル外野手(25)の父フランクさん(54)は元米兵だ。イラク戦争で負傷し、長く行方不明になっていた。父の教えを胸に、モンテルは平和を願っている。
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沖縄に暮らす明るいモンテル少年は、毎年6月23日が近づくと複雑な思いになった。全校集会で映像を見る。太平洋戦争中の、沖縄での地上戦のものだ。直後は友達とも笑えない。
「ほんと、やばいね」
生々しい映像や描写もあった。そして何より、自分には遠い話ではない。
「あんな地上戦になれば、お父さんもただでは帰って来られないな…」
モンテルが誕生した約1年半後。世界が変わった。01年9月11日、米中枢同時テロ事件。「9・11の時から米軍内の情報が特に厳しくなったみたいで、どこで何をしているのかも、無事かどうかも分からなくて」。だから物心ついた頃に父はいなかった。
いないから、それが当たり前に育った。でも大きくなるにつれ「もし生きているなら会いたいって気持ちが強くなって」。転機は中学時代の15年秋。兄ジュリアスさんがドラフト会議でヤクルトに指名された。TBS「ドラフト緊急生特番! お母さんありがとう」で特集され、番組側で父を探しあててくれた。
海兵隊にいた父フランクさんは9・11の後、アフガニスタンやイラクの戦場へ派遣され、そこで負傷。長期入院したため消息不明になっていた。「生きていてくれたんだ…」。その後カリフォルニアに住んでいる。だから再会はさらに5年後に。モンテルの成人式の朝、自宅に来てくれた。
「ハグしたっすね」
次男は照れくさそうに懐かしむ。その後、年に1度のペースで来日。かつての仕事のことを詳しく聞いたことはない。父が3度、戦地に赴いたことは知っている。「戦争に行った証しの、長方形のペンダントを3つ持ってて」。
軍隊に従事したということは、仕事は“そういうこと”だ。モンテルもそこに話題が及ぶと、言葉が詰まる。「でもね、いろいろ、想像もつかないような葛藤があったと思うんですよ」とおもんぱかる。
絶対に忘れられない父の表情がある。「家族で、あれは確か、お台場に遊びに行った時だったと思います」。射的ゲームがあった。モンテルは深い意味もなく「射的見せてよ」と父に言った。父は言った。
「昔のこと思い出すから、やりたくない」
心に刻まれた深い傷が、その言葉と表情からありありと見えてしまった。だからその後、なるべく話題にはしていない。だから父から面と向かって伝えてくれた時の言葉は、モンテルの胸に深く刻まれる。
「戦争は本当に、やったらダメだ」
それでも今なお、世界は争いをやめない。それが民間人でも兵士でも、なんで最前線にいる人たちが命をムダにしなきゃいけないのか、いつまで続くのか-。ニュースを見ながらモンテルも苦しい。プロ野球選手だって普通の人だ。ひと言で戦争を止められる力は持たない。でも社会のため、何かできることを。
「沖縄の人たちや父から学んだことを、少しでも周囲の人や次の世代に伝えていけるように」
明るいモンテルにしては珍しく、陰影ある表情で思いを発した。【金子真仁】
◆モンテル 本名・日隈(ひぐま)モンテル。2000年3月18日、大阪市生まれ。金光大阪-OBC高島-琉球ブルーオーシャンズ-四国IL・徳島を経て、22年育成ドラフト2位で西武入団。3年目の今年5月7日に支配下登録され、同日ソフトバンク戦で初出場。今季推定年俸460万円。兄ジュリアスもヤクルトに在籍した元プロ野球選手。187センチ、88キロ。右投げ右打ち。