
日本サッカー界「史上最高ストライカー」釜本邦茂さんが10日午前4時4分、肺炎のため大阪府内の病院で死去した。81歳だった。京都府出身。日本代表として68年メキシコ五輪で7得点を挙げ得点王に輝き銅メダルに貢献。国際Aマッチ男子歴代1位の75得点、日本リーグはヤンマーで202得点を誇る。93年Jリーグ開幕時のG大阪監督、日本サッカー協会の副会長、政治家としても活躍。最近は病気療養していた。通夜、告別式は近親者で執り行う。後日、お別れの会を開く予定だ。
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12年正月。1日付1面から3日間にわたった釜本さん、明石家さんま、澤穂希さんの3人座談会企画実現も釜本さんのおかげだった。「さんまちゃんに対談やろうよって言ってみるよ」の“ガマのひと声”に、さんまは「釜本さんに誘われたら断れまへんがな」と快諾。トークはサッカーのことだけではなく、リーグ盛り上げのために釜本さんが日本リーグのポスターでバックショットのヌードを公開した翌年に、さんまが股間をボールで隠す写真を披露した話や、当時独身だった澤さんの結婚論まで発展した。