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JFA宮本恒靖会長が釜本邦茂さん悼む「釜本さんに良い報せをお届けできるようまい進」


日本サッカー協会(JFA)の宮本恒靖会長(2025年6月撮影)

日本サッカー界の「史上最高ストライカー」釜本邦茂氏が10日午前4時4分、大阪府内の病院で肺炎のため死去した。81歳だった。日本サッカー協会(JFA)の宮本恒靖会長(48)が、協会を通じてコメントを発表し、釜本氏を悼んだ。

日本代表、そしてサッカー協会の先輩に対して「釜本邦茂さんの訃報に接し、お悔やみを申し上げます」と追悼した。

68年メキシコオリンピック得点王や代表通算75得点などの功績を挙げ「釜本さんは不世出のストライカーでした。同時に私のキャリアにおいて多くの影響を与えてくださった方でもあります」と伝えた。

自身が育ったガンバ大阪で、釜本氏はJリーグ初年度に監督を務めた。クラブでも深い関わりがあったという。「私がガンバ大阪ユース一期生としてプレーし始めた頃、その母体となった釜本FC出身の選手たちが持つ『ボールを止める・蹴る』技術の高さに驚かされました。釜本さんは指導の際にサッカーのベースとなる基本技術を大切にしていらしたと聞きました。その後プロになってからも釜本さんのキックの強さや正確性にまつわる逸話を耳にし、私も良い選手になろうと精力的にキック練習に励みました」と懐かしんだ。

選手と協会幹部の立場でも交わった。「JFA副会長を務められていた時期はちょうど私が日本代表でキャプテンを務めた頃と重なり、ピッチの外側からチームをサポートしていただきました」。

自身の現役引退後は、釜本氏が主催していたサッカー教室に何度もゲストとして招かれた。「2014年のことだったと思いますが、東京の駒沢競技場で『50年前の東京オリンピックの時にここでやった試合に出ていたんだよ』と、集まった小学生200名に話されました。生涯を通じて日本サッカーの普及、振興に努められている釜本さんのお姿に多くのことを学びました」。

立場は変わり、今は自身が日本サッカー界のトップとしてその発展に努めている。「サッカー日本代表はいま、釜本さんが点取り屋として君臨し、銅メダルを獲得されたメキシコオリンピック以来の快挙を目指し挑戦を続けています。釜本さんに良い報せをお届けできるようまい進してまいります。釜本さんの生前のご功績に敬意を表すとともに、ご冥福を心よりお祈り申し上げます」とした。

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